No.8 本当に命懸けになっている人ほど、命を大切にしている

◇それでは死滅あるのみ◇

老子は、さらに語ります。「今、慈愛を捨てて勇者になろうとし、倹約を捨てて広く施そうとし、人後に回ることを捨てて先頭に立とうとすれば、死滅あるのみとなる」と。

慈愛があれば、誰かのため何かのために勇気を奮うことになります。慈愛は他者に向かうものだからです。それが無いということは、自分中心の勇気、則ち蛮勇となりかねません。個人的な怨みや怒りで、人や物にぶつかってしまうのです。

倹約しないまま広く施そうとすれば、借金でもするか、さもなければ盗みを働く以外に方法はありません。また、いつも人の先に立とうとして背伸びばかりしていれば、いつか倒れてしまいます。それでは死滅あるのみとなります。

◇地道に生き抜いてこそ、使命を果たすことが出来る◇

あるとき松下幸之助翁は、「なにかをするのにな、命をすててことに当たると考えては、いかんな。命をすててなんて考える考え方は貧弱や」と言われました(江口克彦著『松下幸之助随聞録 心はいつもここにある』136ページ)。

命を捨てるという考え方ではいかんというのは、臆病に生きることの勧めでしょうか。命さえ守れたなら、もうそれでいいと。

松下幸之助翁の考えが、そんな単純なものではないはずです。戒めようとしたのは、ノンブレーキで突っ込み、大破して終わってしまうような蛮勇です。

本当に命懸けになっている人ほど、命を大切にしています。向かう先に、慈愛心と義侠心を燃えさせてくれる正義があり、しかも自分の志に重なっている。そういうときでなければ、本氣にはなれないというのが真の勇者です。

一見、勇気があるように見える行為の仲に、群衆の前で川に飛び込むような行動があります。そういうことにも一種の勇気は要るのでしょうが、やはり本物の勇気とは違います。目立ちたい、出来る奴と思われたい、格好良くやって拍手喝采を浴び、自分も一端(いっぱし)のヒーローになりたいという我欲が働いているからです。

簡単に死ぬのではなく、世の為人の為、地道に生き抜いてこそ、使命を果たすことが出来ます。それには、やたらに命を賭けるだの、命を捨てるなどと言ってはならないと。命を軽んずる態度によって、あっけなく死んでしまうようでは貧困であると教えたかったのです。(続く)