No.15 敵というものは、実はこちらが作り出している

◇攻めないで退くほうが、却って小国を従えることになる◇

「攻め手とならず受け手となり、一寸を進むよりも一尺を退く」。この、こちらから攻めようとせず、進むよりも退くという姿勢こそ、王道哲学に則った防衛策の基本です。特に、大国から攻めることを止(や)め、小国に対して余裕を示すことが大事になります。

自分から攻めようとしない余裕。これを「国の徳」と言い、大国がこれを示せば、小国は自ずとその徳に従うようになります。大国の謙(へりくだ)った態度に小国が靡(なび)くのは、水が低きに流れるようなものです。力で攻め立て、無理矢理押さえ付けようとすることよりも、攻めないで退くほうが却って小国を従えることになるのです。

そういうあり方を老子は、「行かないでも行き、臂(ひじ)が無くても(臂を)攘(はら)い、敵が無くても(敵を)引き就け、武器が無くても(武器を)執る」ことだと言いました。

◇攻め難く、攻めたら損になり、占領し辛い国をつくろう◇

「行かないでも行く」というのは、直接攻めて行かないで、じっとしたまま相手への影響力を高めるというやり方です。国の徳によって、居ながらにして他国を従えて行くのです。

「臂(ひじ)が無くても(臂を)攘(はら)う」。これは、腕(臂)が無くても逆らう敵を払い除(の)けることが出来るという意味です。そもそも徳の高い大国に刃向かう国は無く、もしも逆らう国があったとしても誰も加わろうとしません。だから、腕が無くても払い除けることが出来てしまうのです。

「敵が無くても(敵を)引き就ける」。この意味するところは、敵でない内から注意を引き寄せ、こちらの威厳によって立ち向かわせないようにし向けていくということにあります。敵というものは、実はこちらが作り出しております。「この相手なら攻め易いし簡単に勝てる」と思わせてしまったときに敵が生まれるのであり、そう思わせないことが重要です。

「武器が無くても(武器を)執る」。これは、武器が無くても武器を執るのと同じくらいの防衛効果を生むことが出来るという意味です。攻め難く、攻めたら損になり、占領し辛い国なら、それが可能となります。中心力と一体感を強めれば、そういう国になりますし、その統一力自体が武器と同等以上の働きをするというわけです。(続く)