No.16 「人類共生連合体」を創設しよう

◇戦争は好んではならないし、備えを忘れてもいけない◇

続いて老子は「禍は、敵を軽んずるよりも大きなことは無い」と述べました。「敵を軽んずる」というのは、戦争を甘く見るということです。戦争は好んではならないし、備えを忘れてもいけません。

もしも「敵を軽んずれば、殆どの吾が宝を失ってしま」います。戦争を甘く見れば、土地や人民という宝を失い、酷ければ主権を失うことにもなるのです。

「だから、兵を挙げて攻め合えば、(戦いを)哀しんでいる者が勝つのだ」と。哀しむというのは、冷静さを意味しています。攻められて仕方なく受けて立つ場合、どこまでも慎重に戦い、犠牲を最小限に抑えなければなりません。いけないのは戦争そのものに酔ってしまうことであり、その悲惨さに哀しさを感じてさえいれば、破滅主義などには至りませんから、最後には勝つことになるのです。

◇人間が幸福な生活を送る基本単位が民族◇

さて筆者は、いわゆる国家よりも、民族共同体が人間集団の基本単位となるべきではないかと考えています。民族は、歴史や伝統、文化や言語、信仰や習慣でまとまっている共同体です。人間が幸福な生活を送るには、価値観が共有され、喜びや悲しみを分かり合える集団の中に身を置くことが必要であり、その基本が民族だと思うからです。

アイヌ人や帰化した人々を除けば、日本は国家と民族が一体の国です。そういう(ほぼ)一民族一国家という国柄は、世界的に例外中の例外と言えます。外国に行けば、国家と民族は二重構造を成しているのが普通であり、しばしば民族の違いが分裂と紛争の元になっています。

人間は風土・水土と共に生きています。土地や気候、空気や水や食べ物など、風土・水土が違えば、文化や習慣も違ってきます。民族は、それぞれに与えられた風土・水土の中で、懸命に生き抜く知恵を育んでまいりました。その綜和が英知となって人類の進化発展を導いたのですから、相互に他民族の歴史や伝統、価値観や信仰を尊敬し合えることが大事です。一方の考え方や仕組みを他に押し付けることは、これからの地球には決してあってはならないことです。

◇世界中から尊敬される高徳民族が現れて欲しい◇

将来の世界は、人類全体が一つに結ばれるものの、それは緩やかな共生関係にあり、人間生活の基本となる権限は、各民族共同体に委ねられていくべきです。一つの国家の中で、多数派民族が少数派民族を弾圧するというのは、民族の尊厳に対する冒涜に他なりません。

しかし、人間に競い合いの本能がある以上、遠い将来にあっても民族同士の争いが皆無ということには、なかなか至らないでしょう。では、人類が共生する文明が成立した後に対立が起こったときはどうするか。

先に述べた祭りならば、昔はケンカの際に顔役が仲裁しました。双方に「あの人が出てきたなら矛を収めても面子が立つ」と思わせるのが顔役です。顔役は双方を引かせるだけの実力と貫目を持っていたのです。

そういう仲裁能力を、全体の利益と調和を図ることの出来る、「人類共生連合体」といった組織を設けることで発揮させてはどうでしょう。それは、国際連合とは次元の違う存在です。国際連合は、第二次世界大戦の戦勝国が集まった利益調整のための集団です。

「人類共生連合体」を創設するならば、中心軸となる民族が必要になると思います。それは、自民族よりも他民族の幸福を優先し、地球と人類を愛して止まないほどの品格高き民族でなければなりません。世界中から尊敬される高徳民族です。

そういう民族が3つくらい現れたならば、やがて人類は互恵共存の方向にまとまる日が来ることと思います。筆者は、必ず見つかると思っています。大和民族も、その中に入りたいものです。(続く)