No.17 真意を人に伝えるのは大変

◇会話や会議、なかなか満足のいくやり取りにならない◇

真意を人に伝えるということ、さらにそれを相手に実行して貰うということは、本当に骨の折れる作業です。一つの例ですが、フェイスブックの投稿に対するコメントを端(はた)から見ておりますと、言葉尻を捕まえた反論であったり、枝葉末節や部分に拘(こだ)った感想であったりすることが、随分多いことに気付かされます。

人間の関心というものは、自分に深く関わるところや、今現在気にしている部分に向かいがちです。その関心に届けば反応するし、そうでなければ特別何も感じません。

情報を発信した側としては、やはり真意に反応して貰いたいもので、太鼓を叩いたらドンと響くようなレスポンスの良さが欲しいのです。ところが会話でも会議でも、なかなか満足のいくやり取りにはなりません。

真意とは、核心にあたる思いのことです。言いたい核心は、比喩(ひゆ)を用い、順を追って説明し、一番言いたいところを強調するなどして苦心しなければ、なかなか伝わりません。しかも、それを実際に試し、身に付くまで繰り返して貰うとなると至難の業となってまいります。

老子も、その点で大変苦労したようです。その心境が吐露されている『老子』第七十章を見ていきましょう。

◇世間は分かってくれず、ましてや行ってはくれない…◇

《老子・第七十章》
「私の教える言葉は、とても理解し易く、実行もし易い。
それなのに、世間はよく分かってくれず、よく行ってもくれない。

教える言葉には根本があり、行う事にはまとまりがある。
でも、それらを知ろうとしてくれないから、私のことも理解されないでいる。

私を知る者は希(まれ)で、私を手本にする者は貴重だ。
だから(道家の)聖人は、粗末な衣類を着て、(懐には)玉を懐(いだ)くので
ある。」

※原文のキーワード
私の教える言葉…「吾言」、とても…「甚」、理解し易い…「易知」、実行もし易い…「易行」、世間…「天下」、よく分かってくれず…「莫能知」、よく行ってもくれない…「莫能行」、根本…「宗」、行う事…「事」、まとまり…「君」、知ろうとしてくれない…「無知」、私のことも理解されない…「不我知」、私を知る者…「知我者」、手本…「則」、貴重…「貴」、だから…「是以」、粗末な衣類…「褐」、着る…「被」 (続く)