No.18 老子も孔子も「分かってくれる人がいない」ことを嘆いていた

◇世間は分かってくれず、行ってもくれない◇

第七十章の内容を、加筆しながら分かり易くまとめてみます。

私の教える内容は、当たり前のことばかりだ。天地自然の原理である「道」を説いているのだから、そのまま素直に学んでくれたらいい。本当にこれ以上理解し易い教えは、他には無いはずである。

「道」の実行方法だって、難しい技術は要らないし、お金もかからない。余分な力は抜き、無駄を省いて中身を充実させ、天地自然の働きが損なわれないようにすればいい。水のような柔軟さと、赤子のような素直さ、女性の持つしなやかさを大切に、真の力強さを養って生きていこうということだから、本来誰にでも出来ることだ。

それなのに、世間は分かってくれず、行ってもくれない。なぜだろうと我が身を振り返ってみるのだが、私は根本原理を教えているのだし、方法にも統一された仕組みがある。奇を衒(てら)ったり、勿体ぶったりしているということもない。でも、結局のところ世の中から興味を持って貰えず、私の真意は理解されないままだ。

私を知る者は希(まれ)だし、私を手本にする者は、実に貴重な存在と言える。私のような道家の人間は、粗末な衣類を着ていながら、(懐には)玉を懐(いだ)くことになる。もともと粗衣がお似合いだし、偉くなることや有名になることにあくせくしたくはない。

懐に懐いている玉。それは天地自然の原理である道であり、この道を掴むということくらい幸せなことはないのだ。

◇経営の厳しさは、結局のところ社長でないと感じられない◇

なかなか分かって貰えないことの辛さや孤独感。それは、人の上に立つ者が共通して味わうことになる心境です。経営の厳しさは、結局のところ社長でないと感じられないし、師匠が辿り着いた境地は、同レベルの達人でないと理解し辛いものです。親の苦労も、やはり親になってみないと分かりません。

何事であれ、努力を重ね修練を積むことで、さらに上の世界へ向かいます。山登りと同じで、上へ行けば行くほど、下がよく見えてまいります。しかし、その分下界が遠くなって、孤高の淋しさも募ることになります。

ところが、下からは上の人たちの苦労や辛さが、なかなか分かりません。
そのくせ、上にいる者の卑怯さやずるさは、下からもよく見えます。社長や師匠など上に立つ者は、分かって欲しいところは分かって貰えず、分かって貰いたくないところは覚られてしまうという厳しさの中に身を置かれてしまいます。ですから、何よりも孤独に耐えられる強靱さが求められることになるというわけです。

実は、老子ばかりでなく、儒家の孔子も同様のことを口にしていました。孔子の言葉として『論語』に、「私を分かってくれる人がいない。私を分かってくれるのは天だけだ」とあります(憲問篇)。老子と孔子は中国思想の二大聖人ですが、二人とも孤独感からくる切なさを、素直に嘆いていたところが大変興味深いです。(続く)