No.19 本物が広まらないのはなぜか?

◇本物追究と普及伝達は、別の努力で成り立つ◇

ところで、老子や孔子の教えが、本物なのになかなか広がらなかったという原因は、一体どこにあったのでしょうか。その理由として、ある物事が本物になるということと、それが広がるということは別の努力によって成り立っているという事実を挙げねばなりません。

本物追究は、タテに深く掘り下げていく作業が基本となります。本物追究にあっては、自分と一部の仲間(師匠と高弟たち)が、その深化の状況を理解していれば済んでしまいます。

一方、普及伝達は、ヨコに浸透させていく作業が基本です。如何にして教えを分かり易くまとめ、伝え易い仕組みを作るかが問われることになります。

それは丁度、企業の研究開発と宣伝営業の関係に似ています。研究開発は本物を創造する作業、宣伝営業はそれを普及していく作業です。これらの両方をこなせる経営者ならいいのですが、前者だけだと、良い物を創ったのに全然売れないということになり、後者に偏ると、中身の薄い偽物をテクニックで売るということになってしまいます。

◇目的と「行」が分かり易ければ伸びていく◇

なぜ広まらないのか。結局それは、広める知恵や工夫の不足が理由なのです。

いろいろな会とその活動を見ても、そこは何をする会なのかという目的と、そこに参加したら何をしたらいいのかという「行」が、より分かり易い集まりほど発展していきます。意味と行動が明瞭であれば、それが初心者への伝え易さともなるわけです。

歴史に事例を求めれば、鎌倉仏教という当時の新興勢力の方式こそ、伝え易さのお手本でした。浄土教であれば「南無阿弥陀仏」と唱える念仏、日蓮宗であれば「南無妙法蓮華経」のお題目、禅宗であれば座禅というように「行」がはっきりしていました。

易行(いぎょう)、選択(せんじゃく)、専修(せんじゅう)と言いまして、行を単純にし、膨大な教典の中からどれかを選択し、専らそれを修めていくというのが鎌倉仏教の基本形だったのです。念仏の法然、お題目の日蓮、座禅の道元らは、本物追究に超人的な努力を重ねた人物であると同時に、普及伝達の天才でもあったと言えるでしょう。

現代の易行に何があるかと問われれば、早起き、トイレ掃除、複写ハガキ、笑いなどを挙げたいと思います。いずれの活動も、何をするのかが明確です。
(続く)