No.24 知っていても知らないとするのが上等

◇「知る」とはどういうことか◇

「知」という漢字は、音を示す「矢」(シ→チ)と、意味を表す「口」で成り立っている形声文字です。「口」は、べらべら喋る様子を表しており、話すには知識が必要なことから「知る」という意味になりました。

知について、洋の東西を問わず思想家があれこれ語っています。古代ギリシアの大哲学者であったソクラテスは、世間の識者と会話したところ、本人はよく知っているつもりであっても、実は知ったかぶりをしているに過ぎない人が多いということに気付きました。それに比べると、自分自身は「知らないということを知っている」ということで、それが有名な「無知の知」となりました。

孔子も「知る」とはどういうことかについて述べています。「知っていることを知っているとし、知らないことは知らないとする。これが知るということだよ」と言いました(『論語』為政第二)。これは弟子の子路に注意したときの言葉です。子路は、っちょこちょいな性格の持ち主で、知ったかぶりの癖があったので、孔子から窘め(たしなめ)られたのでした。

では、老子は「知」について何と語っていたか。老子は、知っていても知らないとするのが上等だと教えました。「知らないから知らない」のでも、「知っているから知っている」のでもなく、それらのさらに上をいく「知っているのだが知らない」という見解を打ち出したのです。

◇知らないのに知っているとするのは欠点◇

《老子・第七十一章》
「知っていても知らないとするのが上等で、知らないのに知っているとするのは欠点だ。(でも)欠点を欠点とすれば、それで以て欠点ではなくなる。

聖人に欠点が無いのは、欠点を欠点としているからである。それで以て欠点ではなくなるのだ。」

※原文のキーワード
知らない…「不知」、上等…「上」、欠点…「病」、欠点を欠点とする…「病病」、それで以て…「是以」、欠点ではなくなる…「不病」、欠点が無い…「不病」(続く)