No.29 無為の政治、無為の生き方

◇威光で以て無理矢理治めようとしない◇

人為の政治の極致に位置する刑罰政治ばかり行うと、互いに疑い、訴え合う争奪社会に至ってしまうというところまで述べました。それに対して老子は、自分を無にする生き方を勧め、無為の政治を説きます。

「こういうことから道家の聖人は、自分は明知であっても自分を示さず、自分を愛していても自分を持ち上げない。それで、彼(刑罰による圧政)を去って此(これ、無為の政治)を取るのである」と。

為政者が明確な知恵を持っていても、それをひけらかさない。為政者だって自分が可愛いものだが、自己愛中心の生き方はしない。即ち、威光で以て無理矢理治めようとし、偉ぶることで自己満足するような小粒な人生にはならないようにと戒めたのです。

実際、体制と法の威力、権勢、肩書き、地位といったもので、常に相手を圧倒しようとする輩が如何に多いことか。そういう者は、目立ちたい、偉くなりたい、点数を稼ぎたいという自己中心的な欲求に駆られています。また、独善的な面子(めんつ)に拘(こだわ)って、平気で人を陥れようとしてきます。

◇相手の位が高いからといって卑屈にならない◇

では、老子の説いた「無為の政治」とはどういうものでしょうか。それは地位や名誉を重んずる儒家の政治でもなく、法と刑罰で取り締まる法家の政治でもありません。

儒家も法家も、どちらも人為の政治です。老子は行き過ぎた人為の政治によって、社会が歪められ、人間が苦むようになったと考えました。如何にして、人為の政治を起こさせないようにするか。そこに道家の主張の根幹がありました。

老子の無為の政治、無為の生き方をまとめれば、次のような内容になります。不要な物や珍奇な物を作っては欲望を刺激し、人民を物欲に迷わせるということがない。金銭の多寡のみで人を評価し、人々を拝金主義に走らせるということがない。地位や名誉に羨望を抱かせ、能ある者に出世や成功を競わせ過ぎるということがない。

自己の品格や徳性、器量を向上させようとする成長欲は大切ですが、地位や名誉、金銭に対しては淡泊で寡欲が望ましいとしたわけです。人に対しても、相手の位が高いからといって卑屈にならず、金持ちだからといって諂(へつら)ってはならないと。

また、無用な戦いを起こさせて、国民を塗炭の苦しみに陥れるということがないよう注意しました。戦争は自衛のために仕方なく起こすものであり、起こしても出来る限り早く終わらせるよう求めています。(続く)