No.30 道家の聖人は、回りを癒す波動(オーラ)を醸し出している

◇無為を為す~為さないことを意識して行う◇

「無為」とは為さないことです。為さないことを意識して行えば「無為を為す(為無為)」ということになります。

「やらないことをやる」とは一体何だろう、回りくどい表現だと思うかも知れませんが、この「無為を為す」ところに道家の生き方の真髄があります。やれるけれども将来のためにやらないとか、作れるけれども全体を考えた結果つくらない、などという姿勢が、この「無為を為す」なのです。

「為無為」には前提があります。それが「先天の徳」で、天地自然の一切には、予め(あらかじめ)備わっている働きや仕組みがあります。人間であれば、生まれながらに備わっている天性や天分があります。それらが先天の徳であり、これを素直に生かすことが、物事を円滑に進め、生成発展を導く基本となります。

人間は誰でも、いろいろな可能性を秘めて生まれてきます。幼子の頃を思い起こすほど、多様な進路や選択肢に満たされていたことに気付かされます。その、まだ加工されていない荒木の状態、決まっていない素樸(そぼく)な状態を「樸(ぼく)」と言います。

やがて、私たちは社会生活の中で型に嵌(は)められ、成長とともに天性が抑えられてまいります。すると、折角(せっかく)の樸(荒木)が、細く小さく削られてしまうことになります。それを見て世間は、「人間が円くなった」とか「やっと大人になった」とか言って評価してくれるわけですが、本当のところ、人為の抑圧によって角を削られただけではないかと。

◇縁ある人たちと、笑顔で挨拶しながら暮らせることの幸せ◇

人間は一人では生きられない社会的動物ですから、集団や共同体の中で助け合って生きていかねばなりません。そこには必ず、約束や決まり事が存在します。一定のルールが無ければ、組織というものは成り立たないのです。

でも、集団社会の中にあっても、無為自然を尊ぶことを忘れてはなりません。人間社会の堅苦しい制約に覆われ過ぎることなく、素朴な感情を大切にしながら日々を送る生活が欲しいのです。自然の美しさに触れ、季節の巡りを楽しめることの豊かさ、互いに助け合えることの喜び、縁ある人たちと笑顔で挨拶しながら暮らせることの幸せなどがそれです。

そのためには、地位や肩書きで相手を判断したり、利があるかどうか、使えるかどうかだけで、交際を決めたりするようなことがあってはなりません。表観的な地位や名誉、肩書きなどは、あくまで尺度です。元々人というものは、表面だけで比べられるものではないのです。

道家の聖人は、仙人のような雰囲気を持っています。とらえどころの無い飄々(ひょうひょう)とした様子でありながら、何とも言えない癒される波動(オーラ)を醸し出しております。

そして、自然を敵視しないで共生し、人と無用な争いを起こさないで共存しようとしています。だから、側にいると居心地が良くて回りから慕われ、自ずと人が集まってまいります。そういう人とは争っても上手くいかないし、そもそも争う必要が無いということになります。(続く)