No.31 刑罰は厳しくすべきか、緩くすべきか

◇自然の報いや天の裁きがある◇
「天罰」という言葉があります。悪いことをすれば、自然の報いや天の裁きによって必ず天罰が下ると。老子はそう考えて、人為の処罰はしないで天に任せればいいと言いました。

《老子・第七十三章》
「(刑罰を)強行するのに勇断であれば則ち死刑となり、踏みとどまるのに勇断であれば則ち人を活かすことになる。此の殺すことと活かすことの両者は、或いは利、或いは害とされている。

しかし、天が(罪を)悪(にく)むところについて、誰がその理由を知っているだろうか。だから(道家の)聖人でも猶(なお)それは難しいのだ。

天の道は争わなくても上手く勝ち、言わなくても上手く応答し、呼ばなくても自然に招来し、緩やかでいて上手く謀られていく。天の網は広くて大きく、目が粗いが取り損なうことはない。」

※原文のキーワード
強行…「敢」、勇断…「勇」、死刑…「殺」、踏みとどまる…「不敢」、誰が…「孰」、理由…「故」、だから…「是以」、争わない…「不争」、上手く…「善」、言わない…「不言」、応答…「応」、呼ばない…「不召」、自然…「自」、招来…「来」、緩やか…「?然(せんぜん)」、広くて大きい…「恢恢(かいかい)」、目が粗い…「疏」、取り損なわない…「不失」

◇厳刑と減刑、その利と害◇

「(刑罰を)強行するのに勇断であれば則ち死刑となり、踏みとどまるのに勇断であれば則ち人を活かすことになる」。つまり、断固として刑罰を厳しくすれば死刑が増え、思い切って緩くすれば刑罰では死に至らなくなるのですが、一体そのどちらがいいのでしょうか。

法家では、死刑を強行する厳刑と踏みとどまる減刑の内、秩序を保つには前者に利があるとしています。後者では、民衆が平気で悪事を働くようになって、社会が乱れるから害にしかならないと認めました。

一方、儒家は正反対の見解を唱えます。孔子は言いました。「法律と刑罰で国民を導こうとすれば、人々は法の網の目をくぐるようになって恥を忘れる。徳で導き、礼を整えていけば、恥を知ってよくまとまるようになる」と(『論語』為政第二)。従って、刑罰を厳しくするのは害、緩くするのが利ということになります。

こうして「或いは利、或いは害とされている」わけですが、老子は孔子と同じく刑罰を害と考えました。しかし、その理由は同じではなさそうです。(続く)