No.36 そもそも「悪」とは何か

◇本来、天道には善も悪も無い◇

では、そもそも「悪」とは何でしょうか。本来、天道には善も悪もありません。一切が、あるがままに存在し、カムナガラ(カミさながら、自然のまま)に活動しているだけです。人為的な意図や計らいが無いのです。

しかし、人道にあっては善悪の基準が必要になります。何らかの規範(決まりやルール)が無いと、人間社会というものは、その秩序を保てなくなってしまうからです。

その基準には、絶対的なものと、相対的なものがあります。人を殺めたり、傷付けたり、弱い者虐め(いじめ)をしたり、人から物を盗んだりすることは、してはならないこととして、絶対的な悪の基準とされています。

一方、適量、適位置、適時で判断するのが、相対的な悪の基準となります。バランスが取れているかどうかで善悪を見るということです。

◇間の悪い人◇

食事なら、全体の量や塩分の濃さです。それが程良ければ善、多過ぎたり足りなかったりすれば悪となります。たとえ健康に良いとされる食材・調味料で調理してあっても、適量でなければ健康を損ねる恐れがあります。

華道なら、それぞれの花が、あるべき位置に生けられているかどうかです。バランス良く組み合わされており、適位置に収まっていれば善です。絵画に描かれる物や人、風景の調和も同じです。

薬であれば、いつ服用するかという適時が問われます。(一般的に)効き目が穏やかな漢方薬の場合、食前や食間に飲むのが善となります。

適時とはタイミングです。灯りは夜点(とも)すのが善、明るい日中につければ、無駄な昼行灯(ひるあんどん)となって悪になります。車の運転ならば、赤信号でブレーキを踏むのが善、何も無いのにいきなり急ブレーキを踏むのは危険ですから悪となります。

「間(ま)が悪い」というのもタイミングの問題です。来て欲しくないときにやって来る人、こちらが出られないときに限って電話を掛けてくるような人がいませんか。忙しいときに相手をしなければならなくなったり、折角の雰囲気を壊されたりするのですから大変です。でも本人は、全然気付かなくて平気。そういう人が「間の悪い人」です。

◇全体にとってどうなのか◇

あるいは、全体を考えないで部分観に陥っているときに悪(間違い)が生じ易くなります。教育なら、自国ばかり尊んで隣国を全然尊敬しない。尊敬しないどころか悪し様(あしざま)に批判し、自国民の不満をその国に転嫁(てんか)させようとする。そういう反隣国教育は、まさに部分観の政策です。

それは、国際信義に悖(もと)る悪い教育です。ひたすら対立を煽るだけですから、大局的に見て、国益にマイナスとなるばかりです。

自国の歴史や伝統を無視し、将来世代を考えない教育も同じです。これは時間軸における部分観であり、タテイトを大きく損ねます。今だけ、自分たちだけ良ければいいとする部分観教育ですから、勿論のこと悪です。

要するに、常に「全体にとってどうなのか」という視点を持たねばならないのです。時間と空間、双方を綜合的に観る目があるかどうかです。この全体観を養ってこそ、善が観えてまいります。

こうして、適量、適位置、適時、そして全体観。これらが整えば善が広がり、お互い、人に迷惑を掛けることが減ります。悪が減る結果、その報い(=罰)の少ない世の中になるというわけです。(続く)