No.40 刑罰以前に、しっかりした政治が行われているかどうか

◇大怪我をするのは権力者の側◇

天の裁きによって必ず天罰が下る。だから、人為の処罰はしないで天に任せればいいというのが前章の教えでした。本章はそれに続く内容として、天の司殺者に代わって人民を死刑にすれば、大怪我をするのは権力者の側であると諭しています。

《老子・第七十四章》
「人民が死を畏(おそ)れなければ、どうして死刑で人民を懼(おそ)れさせることが出来ようか。たとえ人民をして常に死を畏れさせていて、それにも関わらず奇怪な行動を為す者がいた場合、こちらが捕らえてその者を殺せるとしても、誰が敢えて(死刑に)するだろうか。

常に(天に)司殺者がいて(奇怪な罪人を)死刑にしている。その司殺者に代わって(人を)殺せば、それは大工の匠に代わって(木を)?(き)るようなものだ。大工の匠に代わって(権力者や為政者が人を)?れば、その手を傷付けないことは希だろう。」

※原文のキーワード
人民…「民」、畏れない…「不畏」、どうして…「奈何」、死刑で…「以死」、人民を…「之」、たとえ…「若」、人民をして…「使民」、それにも関わらず…「而」、奇怪な行動を為す者…「為奇者」、こちらが…「吾」、捕らえて…「執」、その者…「之」、殺せる…「得…殺」、誰…「孰」、いる…「有」、死刑…「殺」、それは…「是」、大工の匠…「大匠」、傷付けない…「不傷」

◇天が死刑を司る◇

本章は、一括で全体の意味を述べてみます。

「人民が死を恐れていなければ、死刑で人民を恐れさせることは出来ない。一方、人民が死を恐れている場合はどうか。そのときは、たまにおかしな行動で罪を犯す奇怪な行動を為す者が出て、捕らえてその者を処刑出来るとしても、誰がわざわざ死刑にするだろうか。どのみち人民は死を恐れているのだから、奇怪な行動を為す者を処刑したところで見せしめにはならず、秩序の維持には関係ないではないか。

そもそも、おかしな者がいれば、天が死刑を司って罰を下すようになっている。この天の司殺者に代わって人が人を殺すというのは、まるで大工の匠に代わって、素人が木を切るようなものだ。もしも権力者や為政者が人を斬れば、これと同じで、その手を傷付けないことはないだろう。」

◇刑罰は有効でなければ意味が無い◇

悪政が重なれば、人々は生きる希望を失って破れかぶれとなり、どうせ死ぬなら一矢報いようとして一揆や暴動を起こします。そういう激昂した人たちを捕らえて死刑にしたところで、人民の興奮は少しも鎮まるものではなく、却って火に油を注ぐことになりかねません。

一方、善政が行われて幸せな生活が続けば、人々は失うことを恐れ、死を嫌う気持ちになります。誰もが生を喜びとし死を厭います。そうであれば、死刑が執行されたとしても、もともと死を恐れているのだから人々への見せしめにはならないというわけです。

刑罰以前に、しっかりした政治が行われているかどうか。それを問うたのが本章であるとも言えます。そもそも、刑罰は有効でなければ意味が無くなります。善政が敷かれていてこそ、人々は死刑を恐れ、法を守ろうとします。そうして死刑が“戒めとして有効”となれば、社会は安定します。

なお、本章の内容を、単純な死刑廃止論と受け止めるのは些(いささ)か早計でしょう。極刑で対処しなければならないくらい酷い犯罪が、現実に起こってしまう以上、死刑が一定の抑止効果を生んでいることは事実です。あくまで、死刑で無理矢理人民を抑圧しようとする政治を批判し、処刑を司る立場の者に対して冷静さを促そうとしたのが、老子の本意ではないかと思われます。(続く)