No.45 現代文明を超える共生文明の創造へ向かおう

◇誰もが王侯貴族の暮らしをしている現代文明◇

さて、現代文明を享受する先進国では、(余程の貧困層でない限り)大多数の人々が王侯貴族のような贅沢な暮らしをしております。

昔であれば、輿(こし)や馬車などの贅沢な乗り物を使えるのは、召使いのいる身分の高い人かお金持ちだけでした。それが、ガソリンエンジンが発明されてからというものの、自動車の使用が一般化し、誰もが大変便利な車を所有するようになったのです。

また、夏の暑い日、扇で仰いで貰えるのは富貴に満たされた人だけでした。現代では、どの家にもエアコンがあって快適に暮らすことが出来ます。夜を明るく暮らせるのも、電気が普及した都市文明の賜物です。世界中から集めたおいしい食べ物や珍味を、いつでも廉価に味わえるようになったのも最近のことでしょう。

現代では、まさに大衆が文明の支配者です。多くの民衆が、文明の利器を手に入れた権力者となったのです。

◇現代文明は、この先も人間に幸福をもたらしてくれるのか◇

支配者や権力者は、既に手に入れた権益を手放すまいとするのが常道です。現代人も、その快適な暮らしを守ろうとします。原発を否定する代わりに、1960年代あたりの暮らし(使用電気料)に戻ることを厭わないという人は殆どいません。世の中全体が豊かで贅沢な暮らしに執着し、これを失うことを過度に恐れる臆病者になってしまったのです。

先に述べた欲望民主主義や膨張資本主義が、それに拍車を掛けてきたのは言うまでもないことです。今も膨張を続ける現代文明は、この先も人間に幸福をもたらしてくれるのでしょうか。その点について、筆者は明確に否定してきました。

理由は、現代文明は滝壺に落ちる前の船のようなものだからです。一部の目覚めた人たちが、随分前から方向転換の必要性を叫んできました。でも、もはや転落を避けられないところに至っているのかも知れません。ならば、その後の準備に取りかかるのが気付いた者の使命となります。

人は何のために生きているのかという原点に立ち戻って、現代文明を超える共生文明の創造へ着実に向かわねばなりません。それだけは確かなことでしょう。

◇「健康潔癖症候群」という神経質な状態◇

そして、その臆病さは、健康でいられるかどうか、病気に罹らないでいられるかどうかにも関心が向かいます。いつの時代でも、人間が健康を求める気持ちに変わりはありません。でも、多くの人が王侯貴族同然の暮らしをしている現代文明下にあっては、その心配は病的にまで高まっています。健康を損ねることへの不安感から、あれをしてはいけない、これを食べたらダメと憂慮するようになったのです。

それは「健康潔癖症候群」とでも言うべき神経質な状態です。その症状が現れている人たちは、ストレスの多い仕事に追いまくられながら、その解消にお金を使い、過食をしながら痩身に励むというように、一方で体に悪いことをしながら、他方でそれを取り戻そうとしてお金と時間を費やすことになります。

そもそも、静かな自然の中ばかりでなく、喧噪な都会に暮らしていても息災でいられるのが真の健康体です。ところが、欲望への刺激の多い文明社会の中で暮らしていると、偉く思われたい・金持ちに見られたい・羨ましがられたいという「生への欲求」が強まり、勝つため・成功するための「生への作為」が惹起(じゃっき)されてまいります。真の原点を忘れ、崇高な目的を見失って、作為に邁進していくのです。

その結果、無為自然から遠ざかり、心身のバランスが崩れていき、結局「死を軽んじる」ようになってまいります。死を軽んずるというのは、生命を大切にしないで死に急ぐという意味です。(続く)