No.46 美しく老い、格好良く老(ふ)ける

◇「適当」と「良い加減」◇

老いについても、老化を不安に思い過ぎないで、美しく老いることや、格好良く老(ふ)けることを意識したいものです。何事も、年齢に合った「適当」や、世代に相応しい「良い(いい)加減」な生き方があります。

「適当」と「加減」は、調和やバランスが取れている様子を表した言葉であり、本来どちらも良いことを表しています。存在感を保ちつつ煩雑な実務を後進に譲り渡していった昔の隠居生活くらい、適当にして加減の良い暮らしは無かったと言っていいでしょう。

中途半端で構わないと言っているのではありません。あり得ない不老不死を求め、老化をあれこれ悩み、人の目を気にし過ぎては自分を見失ってしまうという状態からの脱皮の勧めなのです。

そうして、「生に作為」することが少なくなれば、単に「生を貴ぶ」だけのときよりも、もっと「優れている」状態に至ります。病を恐れ、老いを気にし、生活に追われることのみに囚われていたときには無かった深まりが起こってくるのです。若い頃には出せなかった渋味や枯淡、幽玄な魅力というものが醸し出されるようになるというわけです。

◇どう死ぬかを考えることはとても重要◇

それから「死を軽んずる」ことのないようにという教えは、死の尊厳を守ることでもあります。どんなに医療が進んでも、死から免れることは出来ません。全ての生命体が死へ向かっている以上、どう死ぬかをサポートすることはとても重要な課題です。当然のことながら延命治療は必要ですが、命の尊厳を守り、誇りある死を支えるための医療も忘れてはならないことでしょう。

また、病気に対する前向きな捉え方として、「病気と二人三脚で生きていく」という考え方があります。これも、一つの「生に作為しない」あり方であると思います。わざわざ病気を好む人はおりませんが、病気を過度に恐れることをやめ、痛みや腫れといった症状を素直に体調の信号と受け止めて生かしたならば、「一病息災」になるという教訓です。

実際、どこも悪くないという元気な人ほど、突然コロッと倒れることがあるようです。それに反して、いつもどこか悪くて、日常的に体調に気を付けねばならず無理が利かない。少し無理をしては簡単にダウンし、休養を取ってばかりいる。案外そういう人のほうが、結果として長生きするというわけです。(続く)