No.49 余りあるものを縮め、不足なほうを補う

◇富貴の者への注意◇

例え話は、説得力を高めます。例え話を聞かせて「ふんふん、なるほど。そういうことって確かに有るよね」と思わせたところへ本題を伝えますと、相手の心が開いた状態になっていますから、本当に言いたかったことがスッと入っていくことになります。

『老子』第七十七章では、弓に例えながら富貴の者に注意を促しています。何かを為しても驕(おご)らず、成功しても地位に居座らず、自分の賢さを見せびらかそうとしないのが、道家の聖人の生き方であると老子は教えました。

儒家には、努力の結果を目に見える形に示したがる傾向があります。地位や名誉を殊の外(ことのほか)尊ぶ人が多いのです。そういう目に見えるものを大切にする見方を「綜學(綜合学・全体学)」では表観と言います。

道家にあっては、名利や権勢を周囲に見せつけている内は、まだ徳の低い段階であると捉えます。成果を上げて世間の注目を浴びている得意のときでも、まるで自分が為したことではないかのように振る舞い、淡々として普段と変わらず、常に自然体でいるのが道家の理想とする態度です。

表観の強い儒家に対して、道家は裏観がよく働いていて、毀誉褒貶(きよほうへん、誉められたり貶(けな)されたり)に囚われません。裏観とは、物事の内側に存在する本質を掴む見方のことです。では、偉さを見せびらかそうとしない裏観的生き方を勧める『老子』第七十七章を見てまいりましょう。

◇天の道は、弓を張るときのようなもの◇

《老子・第七十七章》
「天の道(のあり方)は弓を張るときのようなものだ。(弦を張る前の反っている弓の中央の)高くなっているところは抑え、(弓の両端の)低いところを上げる。(弓と弦では)長くて余りあるほう(弓)は縮め、短いほう(弦)を引っ張るのだ。(同様に)天の道は、(多くて)余りあるものを縮め、不足なほうを補っている。

ところが人の道はそうではない。不足なのにもっと減らさせて、余っているところに与えてしまう。誰が能(よ)くその余裕で以て、天下に奉仕しているだろうか。それは道に則った無為の聖人だけだ。

そういうことから聖人は、何かを為しても手柄とせず、功成りて居座らず、偉さを見せびらかそうとしない。」

※原文のキーワード
上げる…「挙」、長くて余りあるほう…「有余者」、縮める…「損」、短いほう…「不足者」、引っ張る…「補」、そうでない…「不然」、減らさせる…「損」、与える…「奉」、誰…「孰」、余裕で以て…「有余以」、奉仕…「奉」、道に則った無為の聖人…「有道者」、そういうことから…「是以」、手柄としない…「不恃」、居座らない…「不処」、偉さ…「賢」、見せびらかそうとしない…「不欲賢」 (続く)