No.55 攘夷を貫くための開国

◇打つべき手を先駆けて実行する者の宿命◇

勝海舟が成し遂げた江戸城の無血開城。これは長く続いた幕府を終わらせることですから、徳川政権にとっては最高の「恥辱」であり「不幸」な出来事でした。

高杉晋作が描いた長州藩の門戸解放。実現すれば、西洋人に藩領を荒らされかねませんから、鎖国を守りたい攘夷主義者にしてみれば、この上ない「恥辱」であり「不幸」な方策でした。

しかし、江戸城無血開城が無ければ、戊辰戦争はもっと激しい内乱となって、列強につけ込まれる隙を作ることになったでしょう。晋作が考えた方策は、西洋に学びながら日本を強くし、外敵に負けない国を創ろうというものですから、その後の明治新政府の方針そのものでした。

基本的に海舟や晋作の取り組みは、正しかったと見るべきでしょう。しかし、誤解されたり命を狙われたりしました。それは、時代の先を読み、打つべき手を先駆けて実行する者の宿命とも言えることです。

◇世間の賞賛を受けない所にこそ、正しい道がある◇

恥辱や不幸は誰もが嫌がることです。恥を受けたときや不幸に襲われたとき、人は悔しさに憤り、悲しさに意気消沈します。そのまま気を病んでいると、益々笑顔が消え目力は失せ、影が薄くなって風采は上がりません。それが恥辱と不幸にまみれた人の様子です。

威厳を重んじる儒家は、威風堂々とした態度を尊び、前向きで闊達(かったつ)な姿勢をよしとします。当然のこと、そういう不格好でみすぼらしい様子の人を嫌います。だから「恥辱」や「不幸」は、指導者にとって正しくない言葉、受け入れたくない言葉、発するべきでない言葉ということになります。

しかし、真実を見抜き、本質を捉えた者からすれば、むしろ世間の賞賛を受けないところにこそ、選択すべき正しい道があるということになります。

◇先覚者は、世間の不理解に苦労する◇

多くの人々は目の前の現象に左右されながら日々を生きており、遠くを慮(おもんぱか)るということが苦手です。先覚者には既に見えていることであっても、世間の人たちには非常識な暴論にしか聞こえません。先覚者は、世間の不理解と、軽蔑を受けることに苦労します。

そうして先覚者の「正しい言葉は」、世間には「反しているかのよう」に思われてしまいます。いわゆる常識と、先を読んで動いている者の意識の間に、大きな開きが生じているというわけです。

その心境を高杉晋作は「西へ行く人を慕ひて東行く我が心をば神や知るらむ」と詠みました。目的は西に行くことなのだが、私が向かうのは東。その思いは神様でなければ分からないだろうという意味です。

当時、攘夷派は外国人を打ち払おうとし、開国派は列強を受け入れようとしていました。攘夷を選んだら開国はなく、開国を目指したら攘夷はなかったのですが、晋作をはじめとする本物の志士たちだけが「攘夷のための開国」という方向に日本の生き筋を見出していたのです。攘夷を貫くために開国し、西欧に学んで日本を守ろうとした、晋作ならではの歌でした。(続く)