No.60 人は、どういうときに怨みの感情を起こすのか

◇「大きな怨みは、和解させても必ず怨みが残る」◇

《老子・第七十九章》
「大きな怨みは、和解させても必ず怨みが残る。
それでは、どうして善処と言えようか。

それ故に(道家の)聖人は、割り符を握って(債権者となって)も相手を責めない。

有徳の者は手形による信用取引で決済し、無徳の者は徴税のように現物で取り立てる。

天の理法に依怙贔屓(えこひいき)はない。
常に(徳のある)善人に味方する。」

※原文のキーワード 大きな怨み…「大怨」、和解…「和」、怨みが残る…「余怨」、それでは…「以」、どうして…「安(いずくんぞ)」、善処…「善」、と言えようか…「可・為(なすべけんや)」、それ故に…「是以」、割り符…「左契」、握って…「執」、相手…「人」、責めない…「不責」、手形で信用決済する…「司契」、徴税のように現物で取り立てる…「司徹」、天の理法…「天道」、依怙贔屓はない…「無親」、味方する…「与(くみする)」

◇特に注意すべきはお金であり、金銭の貸し借りがトラブルの元◇

本章の冒頭は、「大きな怨みは、和解させても必ず怨みが残る。それでは、どうして善処と言えようか」という投げ掛けから始まります。一旦恨みを買って嫌われると、いつまでも「しこり」が残り、容易に和解出来なくなるものです。後になって和解に苦労するよりも、最初に注意しておくべきだと老子は注意したのです。

人は、どういうときに怨みの感情を起こすのか。いろいろなケースが考えられますが、損をして不利益を被ったときや、自分の領分を侵害されて「仕切り気」に抵触したとき、面子(めんつ)を潰されて恥をかかされたときなどがそうでしょう。

特に注意すべきはお金であり、金銭の貸し借りがトラブルの元となって、酷ければ傷害事件が発生することもあります。そこで老子は、人に金を貸して債権者になったときは、決して相手を責めないようにと諭しています。

「それ故に(道家の)聖人は、割り符を握って(債権者となって)も相手を責めない」という言葉がそれです。「割り符」というのは木札の証文です。それを二つに割り、債権者と債務者が片側ずつ持つようにしたのです。原文では割り符を「左契」と書いており、左片を債権者が持ったとされていますが、左右いずれを持つのかは、必ずしも決まっていたわけではないようです。
(続く)