No.61 人にお金を貸さないのが一番いい


◇お金は人間関係を損ねる元◇

兄弟や親戚、友人や知人とお金の貸し借りをしますと、後でトラブルとなって醜い争いを起こすことがよくあります。お金には本当に恐ろしい性質があり、しばしば人間関係を決定的に損ねる元となります。

老子は、お金を貸したときは、その相手を決して責めてはならないと教えました。貸し借りをすれば、当然のことながら返済の約束を交わします。月々の返済額はいくらで、何年何月までに必ず返すといったことを取り決めます。

しかし債務者(お金を借りた人)は、なかなか決めた通りに返せないことが多いものです。元々お金に苦しんでいるから、恥を忍んで借りたのです。計画通りに返せるくらいなら、そもそも相手構わず借金して回るという事態には至らなかったはずです。

債務者は、既にいろいろな所からお金を借りているに違いありません。とうとう借りる相手が無くなり、意を決し、こちらにやって来た可能性があります。債権者としては、金融機関など取り立てが厳しい相手から先に返すはずですから、親戚や友人は後回しにされてしまうのです。

親戚や友人とは、長い人間関係の中でのご縁というものがあります。助けたり助けられたりしてきたことによる、恩の貸し借りも存在しています。だから、債権者(お金を貸した人)はなかなか非情になれず、債務者は貸してくれた相手に可能な限り甘えてしまいます。

◇債権者と債務者、双方のいがみ合い◇

そして、益々資金繰りに苦しくなった債務者は、「必ず返すから、もう少し待って欲しい」と繰り返し頭を下げてきます。債権者は、取り敢えずその言葉を信じるしかありません。

酷ければ滞納どころか、さらに貸してくれと迫られ、貸付金(相手にとっては借金)が膨らむことすらあります。債務者は、借り易い相手から、何度も借りようとするものです。一度貸したら、その後ずるずるお金を渡し続けることになったという、債権者の苦労話をよく耳にします。

やがて返済が延び延びになり、むしろ借金が増えていくうちに、人間関係はすっかり冷え込みます。債権者は債務者に対して疑心暗鬼になり、だらしない人間のクズと蔑(さげす)んだりします。

その悪口を耳にした債務者は、債権者を逆恨みするようにもなるでしょう。双方のいがみ合いが続き、やがて音信不通ともなれば、最後は裁判で決着を付けるしかなくなります。

◇貸したのではなく「くれたやった」と心得よ◇

それで老子は「道家の聖人は債権者となっても相手を責めない」ものだと述べ、力を抜いた生き方を勧めたのです。貸したお金を取り戻そう、一日も早く取り返そうと力めば、こちらも心身共に苦しくなるばかりだと。

2千数百年の昔も21世紀の今も、金銭の貸借で摩擦が起こることは全然変わっていません。それが「大きな怨み」となれば、「和解させても必ず怨みが残る」のが人間社会の性(さが)なのです。

そういう有様では、全く「善処」とは言えません。厳しく取り立てなければ怨みを買わないでいられたはずなのですから、一番いいのは「人にお金を貸さない」ということです。

でも、どうしても貸さねばならないときは、貸したのではなく「くれたやった」と心得ましょう。返して貰えなくても惜しくはない金額だけ渡して、寄付だと思って忘れることが肝腎だと思います。心底信用出来る相手なんて、なかなかいないものです。(続く)