No.68 天を見習い、道に従い、自由に生きよ

◇やった通りのことが返ってくるのが天の理法◇

本章の締め括りの言葉は「天の理法に依怙贔屓(えこひいき)はない。常に(徳のある)善人に味方する」です。原文は「天道無親、常与善人」で、「天道は親無し」は人口に膾炙(かいしゃ)する『老子』の名言です。

そもそも人格のない「天」には、人間的な感情が存在しません。誰に親しみ、何を嫌うかという個人的な好き嫌いが無いのです。だから、天による愛憎に基づく行為は起こり得ません。

そして、この世には、その好悪や愛憎に左右されない「因果の法則」というものがあります。危ない時に危ないことをすれば危険になり、伸びる時に伸びる条件を整えれば成長するというように、全て原因があって結果が導かれます。この「天の理法」が働いていれば、その人の「やった通りのことが返ってくる」わけだから、そもそも天に依怙贔屓(えこひいき)はないということになるのです。

◇時と場に従って、天理に逆らうことなく、常にあるがまま◇

また、天は無為にして無欲です。人為の計らいが無く、目立とう・偉くなろうという欲もありません。冬の間は休息と準備に努め、春が来れば芽を出し、夏に勢いよく成長し、秋に実を結びます。時と場に従って、天理に逆らうことなく、常にあるがままです。

それに対して多くの人間は、有為、且つ強欲に生きています。私利私欲に翻弄(ほんろう)され、いつも何かを企んでは目をぎらつかせています。天理に反して、冬に芽を出させようと焦り、秋を待たずに収穫を求めているのです。

それは、肩に無理な力が入り、爪先立っている状態です。そのままでは視野が狭くなり、判断が自己中心的となり、自分で自分の首を絞めることにもなりかねません。

そうならないよう、人間はこの天の姿勢を見習うことで、意識のレベルを向上させ、自然体を取り戻さねばなりません。天地自然の原理である「道」に従い、精神の囚われから脱し、真の自由を手に入れるべきであるというが老子の主張なのです。(続く)