No.69 長い目で見て、徳のある者のほうが伸びていく

◇あるがままの働きを生かせば、自然原理として上手くいく◇

天は「常に(徳のある)善人に味方する」。この善人の「善」は、温順で整った様子を表す「羊」と、問答を示す「言言」が組み合わさった漢字(会意文字)です。美しい言葉を話し、筋の通った行いをするのが善人で、天はそういう徳を積む者の味方になるというのです。

この善や徳を重んずる考え方は、一見儒教と共通しています。儒教は「人間社会における義務をきちんと果たす者」を善人として評価致します。仁や義を大切にし、筋を通して生きることそれ自体が善であり、目的や価値でもあるのです。

それに対して老子は、「無為自然に生きる者」を善人としております。無為自然とは、無理せず肩の力を抜いた、自然な生き方や有り様(よう)のことです。何でも複雑にしてしまう人為を避け、あるがままの純朴な働きを生かせば、自然原理として何事ももっと上手くいくはずと考えたのです。無為自然こそ道(天地自然の法則)であるというところに、その理由があります。

「徳」についても、儒教が教えるところの規律正しく立派に生きることで養われる「後天の徳」と違って、老子の言う徳は、生来(せいらい)自然に備わるところの「先天の徳」のことです。元々持っている個性や魅力、それが先天の徳です。これを損なわないよう伸ばすところに、道家(老荘)の人の育て方の基本があるのです。

◇恩返しと仕返し、どちらも心の働き◇

道は法則だと述べましたが、人間の意識にも「心の法則」というものがあります。感情の動物である人間には、恩を受ければ恩返しをしたくなり、怨みを持てば仕返しをしたくなるという法則的な心理が働いています。心が落ち着く状態、つまり喜びや怒りが平衡状態に戻るよう行動するのが「心の法則」というわけです。

恩返しと仕返し。どちらも心が起こす作用ですが、出来れば前者を多くしたいものです。老子は「怨みに報ゆるに徳を以てす」(第六十三章)と述べています。怒るべきことを起こされて怨みが生ずれば、仕返しをしたくなるのが人情です。でも、そういうときでも徳のある行いで報いなさいと。

「徳は得なり」と言いまして、相手の得になることが徳であり、同時に自分の得=徳にもなります。徳と得、これらはどちらも偏が同じ「彳」です。彳は「十字路の左半分」で往来を表し、行くこと則ち行動を意味しています。
「怨みに対して徳で報い」て相手の得になる事を行なえば、誠に高い徳=得を積んだことになるでしょう。

そして、天はそういう徳のある善人に、しっかりと与(くみ)してくれます。「与する」とは、そちら側に加わるという意味です。

勿論、徳になる事を働いたからといって、すぐに良いことが起こりはせず、不徳な事を行ったからといって、たちどころに罰は下りません。個々の現象として、理不尽な事や、非情で無慈悲な出来事が起こるのが現実です。

それでも、長い目で全体を観れば、徳のある者のほうが伸びていくというのが「世の中の実際」であり、道つまり天地自然の働きによる「歴史の真実」なのです。(続く)