No.70 人間にとって理想的な社会の規模とは

◇知人に出会って驚くか、知らない人を見て驚くか◇

東京や大阪などの大都会の中で知人に出会うと、その偶然に大変驚いてしまいます。「こんなところで会うなんて、本当にびっくりしました。どこに知り合いがいるか分からないのですから、やはり悪いことは出来ませんね」などと挨拶をすることになります。

そういえば学生として東京に住んでいた頃、下宿近くの食堂で定食を食べていましたら、高校の同級生がやって来ました。二人とも目を丸くして、「おまえ何でここにいるの?」と同時に言い合い、大いに驚いたことがありました。

大都会という世界は、それくらい知人と出会うことが希であり、無数の知らない人々と無縁のまま、日常を過ごしているところです。それが筆者の住む浜松くらいの都市になると、中心市街地をしばらく歩いていれば、知人の一人や二人とすれ違うのが普通となります。たまたま暖簾(のれん)をくぐった寿司屋に後から祖父母が入店して来たり、鰻屋で昼食を取っていたら横の席に両親が入って来たりしたこともありました。

そして、もっと人口の少ない地域に行きますと、「知らない人が来た」ということで、じろじろ見られることになります。「今日は知らない人に会った」ということが、茶の間の話題に上がります。いつも知っている者同士で暮らしているのだから、「希に来る人」に対して敏感に反応するのは当然のことでしょう。

◇愛知県のある地方では、昔は玄関に鍵を掛ける家が無かった◇

大都会と地方都市、さらに田舎とでは、関わる人の数が桁違いです。都会の人間が必ずしも冷たいわけではなく、地方の人間がいつも親切なわけではないのでしょうが、思い遣りや助け合いといった温かさは、地方のほうが強いのは言うまでもありません。

最近は少なくなりましたが30~40年くらい前までなら、地方に行って道を歩いていると、追い越していく車が止まっては「どこ行くんだ? 乗ってくか」と、よく声を掛けてくれました。田舎で自動車が故障でもすれば、百メートル離れていようが民家から人が出てきて助けてくれたものです。

愛知県のある地方では、昔は玄関に鍵を掛ける家が無かったそうです。留守中に宅配業者が来ると、家に上がって冷蔵庫を開け、冷凍や冷蔵の配達物を分別して入れてくれるのが当たり前であったというから驚きです。ところが、自動車道が整備され、よそ者が沢山来るようになってから用心のために鍵を閉めるようになってしまったという話です。

大都会よりも人数の少ない村落的共同体のほうが、人間にとって理想的な社会なのかも知れません。そのことについて、老子の見解を学んでまいりましょう。
(続く)