No.75 かつて日本は、聖人のムラであり君子のクニであった

※前回(その74)の下記の文を訂正致します。
訂正前「また、クニのクは組む、括るのクで結合を、ニは煮る、似る、握るのニで段々一つにまとまっていく様子(一様)を表します。則ちクニは「長い時間を掛けて一様に結合した共同体」というわけです。」

訂正後「また、クニのクは組む、括るのクで結合を、ニは賑やか、煮る、似る、握るのニで、お酒を醸すときの醞醸(うんじょう)する様子を表します。醞醸とは、徐々にある状態にまとまっていくことです。則ちクニは、お酒が造られるときのように「長い時間を掛けて一つに結合した共同体」というわけです。」

◇君主国のほうが政争は緩やか◇

では、どうすれば国民を苦しめる指導者の出現を防ぐことが出来るのでしょうか。その一つとして、よく知った者同士の中から代表者を選び出す「コミュニティ互選民主制」を先に提案しました。

また、世襲の君主が元首となる政体も、覇者の台頭を抑える働きを持っています。世襲制には、どんなにお金や武力を手に入れても、一代ではどうにも追い付けない伝統的権威というものがあります。

君主国にも争いはありますが、国王が存在する国のほうが、その権威によって一般に政争は緩やかになります。国内に対立する勢力があったとしても、それらをつなぐ求心力が君主という存在にあるのです。国家の基盤を覆すような革命でも起きない限り、君主が倒されて梟雄(きょうゆう)や奸雄(かんゆう)に取って代わられるということは、まずありません。それによって、覇者の台頭を防げるわけです。

日本の歴史が外国に比べて平和であるのは、連綿として続く皇室の存在の賜物でしょう。一度も覇者に取って代わられたことの無い日本の皇位は、世界に誇るべきクニのミナカ(中心)です。

◇善い事は苦痛な事という固定観念◇

それから、より良いムラやクニとなるためには、助けたり助けられたりすることが当たり前の、互恵共生の社会基盤に起こさねばなりません。ムラもクニも、繁栄幸福の共同体なのです。そこでは、お陰様でという感謝の心、お互い様という思い遣りの心、どうぞ先にという譲り合いの心が常識となります。

身勝手な個人主義が蔓延して以来、善意の行為は、義務として行うべきものと思われがちでした。「こうしなければならない」とか「こうするべきだ」とかいうように、義務だから兎に角やらなければいけないものと受け止められてきたのです。

たとえば、自治会の仕事や草刈りなどの奉仕作業は、本当は面倒だからやりたくない。けれども、行かないと何か言われそうだし、世間体も悪くなるので仕方なく参加すると。要するに、そこには「善い事は苦痛な事」という固定観念があったのです。

◇助け合いの行動が預貯金同様に数値で示されていく◇

これを解決するために、筆者の友人である秀島誠一さんは「電子個性通貨(通価)」というものを提唱されています。簡単に言うと、助けたり助けられたりしたときに通価(ポイント)がカウントされ、それによって助け合いの行動が預貯金同様に数値で示されていくというシステムです。

通価ポイントが「貯金」されていれば、それを使って人から助けて貰うことが出来ます。沢山助けて貰って「貯金」を使い果たせば、今度は「借金」が溜まっていきます。でも、「借金」は人から助けて貰えたことの証であり、それだけ人望があることを示しています。それは、むしろ誇りであると考えられ、溜まった「借金」は、これから人の役に立つことでお返し(返済)していけばいいことです。

この通価システムによって、今まで義務や世間体でやってきた事が、そうすることで実際に幸せになっていく事実を体験することになります。硬直化した義務感から解放され、役立ち合いに楽しく積極的に取り組めることになると予想します。人に喜ばれることで自分も嬉しくなるという、自利・利他一体の次元に意識が高まるわけです。

そうして、真心や慈悲心のある人が増え、同じ意識レベルの仲間で繋がっていけば、やがて奪い合いや潰し合いの通用しない公益互恵社会が生まれることになるでしょう。理想と思われるかも知れませんが、江戸時代末期にやってきた西欧人が見た日本は、まさに公益互恵を基本とする聖人のムラであり、礼節謙譲に生きる君子のクニそのものでした。なお、通価ポイントの記録は、人生の“履歴”でもあるとのことです。(続く)