No.78 指折り数えて待ち、やっとその日の朝を迎えたときの感動

◇家が大きくて部屋数が多ければ、その分、物が増えるだけ◇

さらに老子は、「其の(自然の)食べ物を美味しいとし、其の(質素な)服を美しいとし、其の(粗末な)住居に安んじ、其の(素朴な)習俗を楽しむ」と語ります。

「(自然の)食べ物を美味しい」とするというのは、その土地で育ち、その季節に採れる物を食材とし、加工し過ぎることなく薄味で食すことの勧めです。それが一番美味しいし、健康にも良く、従って最も高級な料理となります。

「(質素な)服を美しいと」する。これは、金銀宝玉をちりばめた豪華な服や、威厳を出すための重くて堅苦しい服よりも、どこにでもある自然の素材で作られた衣服のほうが着易いし、体に優しく馴染み、真の美しさが引き出されてくるという意味です。

「(粗末な)住居に安んずる」というのは、生活に不自由のない広さ、仕事に必要な大きさがあれば、それで住むところは十分であると言いたかったのでしょう。家が大きくて部屋数が多ければ、その分、物が増えるだけです。小さな家のほうが手入れも楽で、住み易いものです。

◇その土地ならではの素朴な習俗に包まれることが幸福の基本◇

「(素朴な)習俗を楽しむ」。習俗とは、その土地で昔から行われてきた、習わしやしきたりのことです。その共同体における伝統の祭りや行事、固有の習慣などがそれで、そこには、その地域で育った者にしか味わえない楽しみがあります。その土地ならではの素朴な習俗に包まれることが、幸福の基本になるということを述べたのだと思います。

筆者の子供の頃、年に一度の産土(うぶすな)神社の夏祭りは、本当に待ち遠しく楽しみな行事でした。境内には、沢山の的屋(てきや)の露店が並びます。たこ焼き屋、鯛焼き屋、綿菓子屋、金魚すくい屋、玩具屋などが参道に連なり、初日の午後から翌日の昼までの二日間だけ別世界となります。特に夜の露店の明るさには、まだ灯りの乏しかった時代だけに、異次元世界に遭遇したかのような感動があったのです。

今なら、身近なショッピングセンター等のオモチャ売り場に行けば、欲しい玩具がいつでも手に入ります。何でも便利な現代と違い、年に一回だけ露店がやって来る夏祭りは、待ちに待った嬉しい「ハレの日」でした。指折り数えて待つことの楽しさや、やっとその日の朝を迎えたときの感動には、余事を以て代え難い最高の幸福感がありました。(続く)