No.82 表面的な言葉に騙されてはならない

◇美しい言葉は信実でない◇

『老子』の最終章、第八十一章に至りました。本章は、総まとめの内容となっています。

《老子・第八十一章》
「信実の言葉は美しくなく、美しい言葉は信実でない。
善なる者は雄弁でなく、雄弁な者は善でない。
知る者は博識でなく、博識な者は知っていない。

聖人は(自分のために)積まないのに、尽(ことごと)く人のためにして自分がいよいよ有し、尽(ことごと)く人に与えて自分がいよいよ多くなる。

天の道は、(万物を)利して害を与えず。聖人の道は、為して争わず。」

※原文のキーワード  信実の言葉…「信言」、美しくない…「不美」、美しい言葉…「美言」、信実でない…「不信」、善なる者…「善者」、雄弁でない…「不弁」、雄弁な者…「弁者」、善ではない…「不善」、知る者…「知者」、博識でない…「不博」、博識な者…「博者」、知っていない…「不知」、積まない…「不積」、尽(ことごと)く…「既」、人のため…「為人」、自分…「己」、いよいよ…「愈」、人に与える…「与人」、害を与えず…「不害」、争わず…「不争」

◇巧みに述べる者は、嘘が多くて人間が軽い◇

「信実の言葉は美しくなく、美しい言葉は信実でない」というのは、そもそも信実であれば美しい言葉で飾る必要は無く、美しい言葉で飾ってある場合は、信じられるほどの中身が無いという意味です。「美しくない」の原文は「不美」で、素樸の「樸」や拙語の「拙」に通じます。

「善なる者は雄弁でなく、雄弁な者は善ではない」。これも同様の内容です。天地自然の原理である道を得、無為自然に生きている者は、悠然としていて言葉に頼らなくてもいい。だから口達者である必要がありません。だが、人間が未熟で落ち着きのない者は、巧みな弁舌で相手に勝とうとします。「雄弁でない」の原文は「不弁」で、これは訥弁の「訥」と同義です。

さらに「知る者は博識でなく、博識な者は知ってはいない」と続きます。真に本質を掴んでいる者は必ずしも博識ではなく、博識な者は本質を掴み損ねている場合が多いという指摘です。知識をゴールにしているだけでは、見識までは養えても、行動によって体得される胆識には至らないもので、そこに知に偏ることの弊害があります。「知らず」の原文は「不知」で、愚直の「愚」に言い換えられます。

こうして、飾り立てられた言葉は中身に乏しい。雄弁巧みに述べる者は、嘘が多くて人間が軽い。知識に振り回される者は、実践力に乏しくて肝腎な事が分かっていない。だから、表面的な言葉に騙されてはならないというわけです。
(続く)