No.84 利他に生きて幸福になる~その因子をオンにしよう

◇相手に喜ばれると、同時に自分も幸せな気分になる◇

人のために役立つことをすると、気持ちがとても充実します。仕事を終えて、お客様から「どうも有り難う。大いに満足した」と言われたら疲れがいっぺんに吹き飛び、何かの活動をして、仲間から「よくやった。本当に助かったよ」と感謝されたら、心が達成感で満たされます。

相手に喜ばれると、同時に自分も幸せな気分になるのはなぜでしょうか。それは、人間には「利他に生きて幸福になる因子」が生来的に内在しているからだと思います。本能として、遺伝子の中にそういう要素が組み込まれているのではないかと。

言うまでもなく、助け合いや譲り合いを教える道徳教育は大切です。人間は学習する生物であり、「困っている人を救いなさい」、「苦労している人を助けなさい」と教えられたら、そうすることが善であると知ります。

そう指導された結果、何らかの善行をしたときに、(教えられたことが出来たことで)充実したり嬉しく感じたりすることになります。でも、後天的に教えられたからだけでなく、利他心という人間が本来的に持っている天性があるからこそ、充実感や幸福感が自然に生ずるのだと思うのです。

人を助けることが自分の生き甲斐となり、相手に喜ばれることが自分の喜びでもあるという感性。それは、学習以前に備わっている先天的な本性であるというわけです。

◇では、何もしないで放っておけばいいのか…◇

では、その本性に従って何もしないで放っておけばいいのかというと、決してそうではありません。名誉や利益を追い求め、出世競争に汲々として生きていかざるを得ない人間社会に揉まれていると、たちまち自己中心的で我が儘な感情が頭を擡(もた)げてきます。相手を思い遣る余裕を失い、愛や慈悲の心を忘れ、対立的・闘争的な状態に陥ってしまいます。

そこで、教育が必要になるのです。助け合うことの尊さや、「喜ばれる喜び」という感動を体験させ、人が本来持っている「仏性」や「良知」が働くよう、その因子をオンにするところに教育の意義があるはずです。

老子は言いました。「聖人は(自分のために)積まず、尽(ことごと)く人のためにして自分がいよいよ有し、尽(ことごと)く人に与えて自分がいよいよ多くなる」と。余分な力を抜いて無為自然に生きる道家の聖人は、いつも相手のために生きていながら、気が付けば自分が豊かになっており、全てを人に与えながら、結局自分が満たされてまいります。(続く)