No.86 成長の果てに、一体何を得たいのか

◇生命体に寿命があるのは、世代交代を起こして進化を加速させるため◇

「天の道は、(万物を)利して害を与えず」。天地自然の原理である道は、万物を育み、これを損ねることが無いと。あらゆる事物が道によって成り立つのですから、そもそも道の恩恵(利)を受けない存在はありません。

一見、存在を邪魔し、崩壊をもたらすかのように見える現象も、そうさせることで再生と次の発展を導いていることがあります。落葉樹の葉が落ちるのは、冬を越して新芽を育てるためです。生命体に寿命があるのも、世代交代を起こして進化を加速させるためです。落葉も寿命も、全体の利に適っており、「利して害を与えない」働きということになります。

そして、「聖人の道は、為して争わず」。これが『老子』最終章の最後の言葉です。ずっと「無為」の必要性を説いてきた老子が、最後の最後に「為」で結んでいることが興味深いです。

無為、それは「無為を為す」ということでした。意識的に為さないことを為す。
そうすれば、自然の原理が生かされて何事も上手くいくと。

この意識して為さないという段階は、通過点だったのです。これを超えると、余分な力が抜けて、ただ「為す」だけでいいというレベルに入ります。あるがまま、自然に振る舞えばいいという次元です。思うに老子は、本当に「為す」とはどういうことなのかについて教えたくて、まず無為から説いたのではないでしょうか。

◇社会は益々複雑化し、喧噪さを増すばかり◇

本当にこの世は、無為と反対の「人為」に満ちています。膨張資本主義社会は、物欲を煽り、消費を刺激し、不要な物でも無理矢理買わせ、返せない借金を背負わせながら拡大してきました。文明の進歩と共に社会は益々複雑化し、喧噪さを増すばかりです。

人々は、名誉を得たい、高い地位に就きたい、金持ちになりたい、成功者に見られたいという私欲をたぎらせ、奪い合いと対立・闘争に満ちた世の中を汲々として生きています。人間は何のために争い、どうして一番になりたがるのか。どこまで物的に成長すれば気が済むのか。成長の果てに、一体何を得たいのか。そして、それは本当に幸せなことだったのかと。

核兵器などの大量殺戮兵器を保持しなければ、国際社会での発言力が低下し、国家を守ることが出来ない。地球環境を破壊し、動植物の種の消滅を招かなければ、膨張資本主義を維持出来ない。それが現代文明の実態です。

800年周期交代論を説く文明法則史学によれば、21世紀は東西文明の交代期です。西の文明は衰亡の危機、東の文明は興隆の黎明期にあります。文明交代期を迎えた今日、「為す」ということの原点からの見直しが必要になったというわけです。(続く)