No.87 肩の力を抜いて、あるがまま自然に振る舞う

◇これでは文明が行き詰まるのも当然◇

奪い合いや対立・闘争に満ちた世の中。これに拍車を掛けたのが欲望民主主義でした。本来の民主主義は、国民一人ひとりに国家社会に対する責任があるということを示した崇高な思想でしたが、次第に曲解されていきました。「民」は「主」であるから王様同然に何をしても構わないし、要求すれば何でもして貰える、というふうに受け止められてしまったのです。

そして、勝手主義の自由と悪平等が、欲望民主主義を“補強”しました。
民主主義は、人間を放縦で自堕落な方向に導き、依頼心・要求心を煽(あお)り立てて止まない、次元の低い権利思想に堕落したのです。

地球環境を破壊する膨張資本主義と、私利私欲を募らせる欲望民主主義。
そして、人間性を下げてしまう低徳教育。これでは文明が行き詰まるのも当然です。

勿論、競い合いは必要ですし、生成発展が止まるようでは、自然の法則に反することになります。だが、それは人類進化のためであり、次元の低い叩き合いや、足の引っ張り合いに終始していて構わないというわけではありません。

◇まず指導者が、無欲・小欲となる◇

さて、意識して為さないという「無為」の段階を通過し、ただ「為(なす)」だけでいいというレベルにどう入るかです。そのためには、まず指導者が私利に対して無欲・小欲となり、爪先立って闘争することを止め、肩の力を抜いて、あるがまま自然に振る舞うようになることが必要です。そうすれば、人民は指導者を見習って、心を和らげ、意識レベルを高められます。その結果、世の中は「不争」になると。

争い合いがいかに醜く、それが高じた殺し合いがどれほど惨(むご)いことか。人類は一日も早く、戦争の要らない世の中を創らねばなりません。老子は、戦争を必要悪と認めました。しかし、それは仕方なくするものであり、戦争自体を賛美したり、戦士を過度に英雄視したりすることを戒めました。

誤解して頂きたくないのですが、空想的な平和主義を主張しているのではありません。祖国を守る誇りを捨てよとか、防衛力を持たなくていいなどと言うのでもありません。

平和には段階があり、今の段階で一方的に戦争放棄を宣言し、軍備を保持しないと唱えたところで、猛獣や猛禽類を相手に無警戒でいるようなものです。世界は、まだまだ国家同士が武装して肩をぶつけ合う、陣取り合戦の最中(さなか)にあるのですから。(続く)