No.33 根には根の義務、葉には葉の義務がある

絶対奉仕(ぜったいほうし、他に比べられるものがないくらい最高の奉仕)

自分を空っぽ(からっぽ)にして、他に仕えることを奉仕といいます。
自分の事は後回しにして誰かのために働いたり、見返りを求めないで相手のために一心に励んだりするのが奉仕です。

奉仕は人類最高の徳であり、人として最も尊い行為です。そして、奉仕を別の言葉で表現すれば、義務(ぎむ)になります。

義務は、権利と共に議論されるのが普通です。「義務」を「しなければならないこと」と考え、「してもいい」という「権利」を反対の意味の言葉としてとらえ、二つを並べて比較することになるのです。しかし、必ずしも並べて論ずる必要はなく、むしろ関わりのない別次元の熟語と考えるべきでしょう。

ところが多くの人は、「義務を果たせば権利が与えられる」とか、「権利を得るための手段として義務がある」などと受け止めているようです。それでは、義務は仕方なくやるもの、嫌々(いやいや)することとなってしまいます。

自分を空っぽにして、筋道(すじみち)の通った義に務めること。それが奉仕であり義務です。そこを誤解しないよう、深く戒めなければいけません。

自ら燃えて正しい道を進むが、そのすべてが自分のためではなく、あらゆる存在を生かし、その恵みに感謝するため。それは、どこまでも徹底的(てっていてき)に義務であって、少しも個人の権利を主張したり行使(こうし、実行し使用すること)したりするものではないと。そういう姿において、太陽に及ぶものはありません。

人間も、偉大な成果を上げようとするならば、他に比べられるものがないくらいの奉仕、つまり太陽のような絶対奉仕でありましょう。

ムッソリーニというイタリアの政治家は、「人には義務のみがあるのであって権利はない」と言いました。これは本当に、真実を言い当てた言葉です。

冷静に考えてみると、人間ばかりでなく宇宙の万象(ばんしょう、あらゆる存在と現象)すべてが義務の集合で成り立っています。家屋ならば、柱には柱の義務、壁には壁の義務、屋根には屋根の義務があります。それぞれの義務が役割となって集合し、家屋は保たれます。

また樹木ならば、根には根の義務、葉には葉の義務、幹には幹の義務、枝葉には枝葉の義務があります。それらの義務が完全に果たされて、はじめて樹木は生成発育するのです。

人間社会も同じで、家庭であれ会社であれ、大小一切の集団において、義務を果たし合っていくところのみが栄えていきます。

林英臣の補足:義務は「筋の通った正義の務め」という意味に解釈すると分かりやすいでしょう。(続く)