No.57 力ずくの覇道、徳の王道、その上をいく皇道

1 ご神勅(しんちょく)と民本主義

すでに二度述べたように、天照大御神のご神勅(神様のお言葉)に次のようなお言葉がありました。

「葦(あし、水辺に生える草)が生い茂り、生き生きした稲穂(いなほ)が永遠に実る国こそ、私の子孫が王となる地です。我が孫よ、行って治めなさい。さあ行きなさい。天皇(てんのう)の位が受け継がれて栄えることは、天地と一緒で終わることがありません。」

これが天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅です(天壌は天地(あめつち)、無窮は終わりのないこと)。この中に「我が孫よ、行って治めなさい」とあります。「行って征服しなさい」ではなく、平和で人々が安心できるよう治めなさいと。すなわち、万民(ばんみん、多くの人々)を化育(かいく、教化や教育)しなさいというわけです。

そもそも、覇者(はしゃ、武力や金力、権力で相手を抑えようとする者)は征服(せいふく)を目指し、王者(おうじゃ、徳の高い人柄によって人々をまとめる者)は化育を目指します。

覇者のやり方は覇道(はどう、武力や金力、権力で世の中を征服すること)といい、どこまでも自分が中心です。王者のやり方は王道(徳の高い人柄によって世の中をまとめること)といいます。

しかし、王道には革命があります。王者の徳がなくなると、武力によって倒され、新しい王と入れ替わります。これを革命(かくめい)といいます。支那(しな、チャイナと同じで中国のこと)は、革命が何度も起きている国です。

日本には、この革命がありません。神話の時代から天皇を中心とする国だからです。そこで我が国では、王道とは言わないで皇道(こうどう)と言います。皇道は国民を重んじますから、革命が起きないのです。

覇道を支えるのが「力」、王道を支えるのが「徳」であるならば、皇道は「忠」が支えています。忠は中心であり、中心と全体がつながることも意味します。中心の力によって全体がまとまり、全体が安定すれば国民が安心して幸せに暮らせるようになります。ここに、皇道国体(こうどうこくたい、皇道による国柄のこと)や民本国家(みんぽんこっか)と呼べる理由があるのです。

覇道の盛んなところには、必ず闘争心(とうそうしん)や反逆心(はんぎゃくしん、反対したり逆らったりする心)が生じますが、皇道が盛んになれば、そこには征服したり征服されたりという関係がなくなります。そうして、筋道(すじみち)を通す義(ぎ)において君(きみ)と臣(おみ)の関係のように、温かい情において親子の関係のように国がまとまっていくのです。

我が国では、天照大御神が天壌無窮の神勅を示されたほか、孫のニニギの尊(みこと)に三種の神器を授けられました。鏡はうそ偽りのない誠、玉は円満な愛情、剣は正義と勇気を表しています。この精神によって天照大御神の子孫である歴代の天皇は、無私の心で民を本として日本の国を治めたのです。本当にありがたい民本の国であることが、よく分かります。(続く)