No.59 国民が貧しければ、天皇である私が貧しいということになる

さて、仁徳7年になりました。すべての税金をやめてから3年が過ぎています。
仁徳天皇は、また高台に登られました。遠くまでご覧になったところ、今度はたくさんの竈(かまど)の煙が上がっています。

天皇はお后(きさき)に語りました。「私は豊かになった。これで心配はなくなった」。それをお聞きになって皇后(こうごう)が質問しました。「どこが豊かになったのですか」。

天皇は「煙が国中に満ち、国民は自(おの)ずから富んだではないか。それが豊かになったということだよ」と答えます。そこで皇后は、はっきり言われました。「垣根が崩れたのに修理ができません。御殿(ごてん)が壊れて、衣服が夜露(よつゆ)にぬれてしまいます。それなのに、どうして富んだと言えるのでしょうか」。

天皇は、次のようにお考えを述べられました。「天の神々が君(きみ、天皇のこと)を立てるのは、国民の幸せのためである。君は国民が本であるということを決して忘れてはならない。昔の聖王(せいおう、ひじりのきみ)は、一人でも飢えたり凍(こご)えたりしていたら、ただちに反省(はんせい)したという。だから、国民が貧しければ私が貧しいのであり、国民が富んでいるのは私が富んでいるということになる。国民が富んでいて、君が貧しいということはないのだよ」。

こうして、宮殿は朽(く)ちてしまい、蓄(たくわ)えはなくなりました。豊かになった国民は、落とし物を拾って自分の懐(ふところ)に入れてしまうようなことをしなくなりました。集落には、夫のいない女や妻のいない男がいなくなりました。家には、蓄(たくわ)えが増えてきました。

もうここまできたら、税金を集めて皇居を修理しなければ、天から罰(ばつ)が下(くだ)ってしまうだろう。そういう意見が諸国(しょこく)から出てきました。でも、まだ無税(むぜい)を続けました。

仁徳10年になりました。無税は6年半に及びました。いよいよ国民に、皇居の再建(さいけん)を命じることにしました。すると、国民は命令されなくても、老人から子供まで協力し合い、材木や土を運んできました。昼も夜も、競い合うように再建(さいけん)が進みました。皇居は、またたく間に完成したのです。

仁徳天皇はその後、聖帝(ひじりのみかど)と誉め称(たた)えられました。

林英臣の補足:「ひじり」は日知りです。日(太陽)のように天下のことを何でも知っている者や、日のように天下を治められる者が「ひじり」です(知るは治(し)ると意味が同じ)。また、ひじり(日知り)は、今日が何日かを知っています。だから、時を司(つかさど)る者でもあります。(続く)