明治天皇の素晴らしいご聖徳(天皇のご人徳)は、あらためて述べるまでもありません。徳川時代から近代国家へ転換(てんかん)したのが明治維新(めいじいしん)であり、そのとき天皇政治が復活しました。それを王政復古(おうせいふっこ)といいます。
新しい政治を始めるにあたって明治天皇は、「世の中に数え切れないほど多くの人々がいる中で、やりがいのある仕事に就き、ふさわしい立場を得て働くことのできない不仕合わせ(ふしあわせ、うまくいかないようす)な人が一人でもいるときは、その罪(つみ)は全部私にあります。
今日(こんにち)やるべき事として、まず私から身骨(しんこつ、身体と骨)を砕(くだ)いて一所懸命(いっしょけんめい)となり、心志(しんし、精神や意志)を苦しめるほどに仕事に取り組み、国民の艱難(かんなん、大きな困難に出会って悩み苦しむこと)の先頭に立って努力します」などと言われました。
ときどきのご詔勅(しょうちょく、天皇のお言葉)や、多くの御製(ぎょせい)を拝察(はいさつ、へりくだって拝見し相手の気持ちをくみ取ること)しますと、徹底的(どこまでも一貫しているようす)な民本主義者であらせられたことが分かります。
その明治天皇の御製を拝読しましょう。
明治天皇(第122代)御製
とこしへ(え)に民安(やす)かれと祈るなる
我世(わがよ)を守れ伊勢の大神(おおかみ)
(意味)永遠に国民が平安であるよう祈りますので、どうかわたしの治世(ちせい)をお守り下さい、伊勢の大神よ。
「とこしへ」…永遠
伊勢神宮にお祭りされている天照大御神に、国民の平安をお祈りされました。
ことなくて治まる世にも民のため
思ふ(う)心はやすむときなし
(意味)異変がなく、よく治まっている世の中であっても、国民のためを思う心に休まるときはありません。
「こと」…異(こと)で異変のこと
どんなときも安心されない大御心(おおみこころ)が表されています。
照るにつけ曇るにつけて思ふ(う)かな
我(わが)民草(たみくさ)の上(うえ)は如何にと
太陽が照るときも曇るときも思うのは、我が国民の上には、どう照ったり曇ったりしているかです。
太陽がよく照れば、国民は暑さで苦しくないか、日照りになっていないか心配し、曇れば日照不足(にっしょうぶそく、太陽の照り方が足りないこと)や冷害(れいがい、気温が低いことによる被害)で、作物の生育が悪くならないか心配して下さいました。(続く)