No.63 京都に行幸して、政治が荒れることを心配された明治天皇

明治天皇御製の拝読を続けます。

明治天皇(第122代)御製

暑しともいは(わ)れざりけりにえかへ(え)る
 水田(みずた)に立てるしづを思へ(え)ば

(意味)暑いと言ってはいられない。煮えかえるような水田に立って働く国民の苦労を思うならば。

「しづ」…賤しい身分の、何の力も持たない弱い人々、つまり多くの国民のこと。

罪しあらば我を咎(とが)めよ天津神(あまつかみ)
 民は我身(わがみ)の生みし子なれば

(意味)天津神よ、国民に罪があるならば、この私をお咎め下さい。国民は私が生んだ子ですから。

「罪し」…「し」は意味を強める副助詞、「天津神」…高天原の神々

明治天皇は、晩年にとても体重が増えました。そこで、側近の者が京都行幸(ぎょうこう、天皇陛下がお出掛けになること)をお勧(すす)めしました。
京都に行幸されれば、運動になってお体にいいと考えたのです。そうしましたら明治天皇は、次のようにお答えになられました。

「山川草木(さんせんそうもく)が自然で伸び伸びしていて、人の心を落ち着かせるものがあるから、私は京都の風景が大好きだ。

だから、もしも京都に行けば、きっと半月の予定が一月(ひとつき)となり、さらに二月(ふたつき)ともなるだろう。

そうなると、どうしても政治が荒れてしまい、上(かみ)は先祖の遺訓(いくん、伝えられている教え)に逆(さか)らい、下(しも)は万民(ばんみん、多くの国民)の希望(きぼう)に背(そむ)くことにもなりかねない。そのことが心配だから、京都へ行くことは、まったく断念(だんねん、思いを断つこと)しているのである」。

京都は、いわば天皇の故郷です。懐かしさがあり、行幸されたいに決まっています。でも、政治の動揺(どうよう、揺れ動くこと)を心配されて、その思いを断たれました。

この私心(ししん、自分中心の心)のない明治天皇の御心(みこころ)に恐(おそ)れ入るばかりです。本当に胸の塞(ふさ)がる思いがいたします。
(続く)