No.69 勝者が否定され、敗者が永遠に国民精神の中に生き続ける

今の世の中は、偽物(にせもの)の愛国者、偽物の国士(こくし、その国の優れた人物)が多いようです。本物と偽物を選(よ)り分けなければいけませんが、どうやって判別(はんべつ、違いをよく見て区別すること)したらいいでしょうか。

一番の方法は、その人の行動の足跡(そくせき、歩んだあとに残ったもの)をよく見ることです。そこに無私(むし、私心の無いこと)の心があるかどうかで、本物かどうかが分かるでしょう。

その際、活動の大きさに誤魔化(ごまか)されてはいけません。やり方が目立つからといって、考え方がしっかりしているかどうかは分かりません。その事業(じぎょう、興した仕事)が幅広いからといって、中身まで優れているかどうかは、直ぐに判断できるものではありません。

また、言論や出版活動の巧(たく)みな表現力に惑わされてもいけません。何事にも一時(いっとき)の流行ということがありますから、その派手さに驚いているだけではいけないのです。

大抵(たいてい、一部の例外を除いた大部分)それらは、何かをやってやろうという野望(やぼう)が出発点であり、早く偉くなりたいという私心(ししん、自分中心の心)からくる行動が多いはずです。それらに振り回されて熱中する人々は、道具として騙(だま)されている可能性が高いということに早く気付かねばなりません。

諸外国(しょがいこく、多くの外国のこと)では、国家への反逆(はんぎゃく)が認められています。支那(しな、チャイナと同じで中国のこと)では革命(かくめい)が肯定(こうてい、その通りであると認めること)され、政治が腐ってきたら、国家を倒して革命(かくめい、天命によって指導者が革まること)を起こせばいいというのです。

やがて、反逆者がだんだん力を付けて活動基盤ができてくると、それを誉め称え、やがて天下を取ってくれることを熱望(ねつぼう)するようになります。

しかし我が国には、次のような例があります。鎌倉時代の終わり頃、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、鎌倉幕府を倒して天皇中心の政治を取り戻そうとしました。そのとき、天皇に味方したのが楠木正成(くすのきまさしげ)という武将でした。やがて情勢を見て、足利尊氏(あしかがたかうじ)も討幕に加わりました。

一度は新政権が樹立(じゅりつ)されるのですが、尊氏は反旗を翻(ひるがえ)して天皇にそむきます。後醍醐天皇は京都から吉野へ逃れ、動乱となりました。

正成は忠義の心で天皇を守ろうとして奮戦(ふんせん)するものの、圧倒的な勢力を誇った尊氏には敵(かな)わず、とうとう殺されてしまいます。でもその後、勝者の足利尊氏は永遠に否定(ひてい)され、敗者の楠木正成は永遠に国民精神の中に生き続けることになりました。

これは、諸外国が権力や武力に基礎を置いているのに対し、我が国では正義に基づいた大道(だいどう、堂々と生きる道)を重んじているところに理由があります。

繰り返しますが、我が国は大道に立っていますから忠孝(ちゅうこう、忠義と孝行)が本となり、忠孝が本だから反逆を許しません。三種の神器の宝剣(ほうけん)こそ、まさに正義大道を守っていく象徴であり、逆賊(ぎゃくぞく、主君にそむく反逆者)や私利私欲に生きる小賢(こざか)しい者を懲(こ)らしめてくれる神器なのです。(続く)