No.79 国名は日本、国旗は日の丸~太陽主義を象徴

国名について
我が国を「日本」と呼ぶのは、一体いつ頃からなのでしょうか。その説はいろいろありますが、太陽主義の我が国を称(しょう)して日本を呼ぶのは偶然(ぐうぜん)ではないと思われます。名(な)は体(たい)を表すというように、名前は本当に大切です。

我が国の理想は、まさに国名の日本(にほん)、日の本(ひのもと)にあります。大日本(だいにほん)、つまり大日の本(おおひのもと)となって、世界中を日の光で覆(おお)い尽くすのが、国家としての理想であり使命なのです。

私たち国民は、日の本の国民として恥ずかしくない人生をおくりたいものです。

林英臣の補足:日本という国名は、西暦7世紀後半から8世紀初頭までの間に定着したようです。7世紀後半は、律令国家建設を力強く進められた天武天皇(第40代)の頃となります。

国旗について
国旗の「日の丸(日章旗)」がいつ頃から用いられたかは定(さだ)かでありません。古くは天武天皇の時代に使われたとか、後醍醐天皇(第96代)が吉野の笠置山(かさぎやま)に逃れられた際に掲げられたとか言われています。源平合戦では屋島(やしま)の戦いにおいて、平家方(へいけがた)から漕(こ)ぎ出した小舟に立てられた扇(おうぎ)を、源氏方(げんじがた)の弓の名手である那須与一(なすのよいち)が見事に射(い)落としました。その扇に描かれていたデザインは日の丸でした。また、戦国時代の武将に、日の丸を旗印に用いた者が多くいたようです。

しかし、日の丸が国旗と定まったのは幕末でした。安政元年(西暦1874年)3月に日米和親条約が調印され、外国船と区別するための船舶旗(せんぱくき)が必要となります。そこで、日の丸をシンボルとすることが、老中・阿部伊勢守正弘(あべいせのかみまさひろ)によって布告されました。

日の丸の提唱者は、薩摩藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)であるという説があります。島津斉彬は、白地に太陽を描き、それを日本国の印に使うよう老中に願い出たとのことです。

国家を象徴(しょうちょう、表したいことを何かの形で示したシンボルのこと)する国旗が太陽そのものであることは、日本が太陽主義の国であることからしましても、日本という国名からしましても、単なる偶然とは思えません。きっとそこには、自然にそうなった大きな必然(ひつぜん、必ずそうなると決まっているようす)があるはずです。

諸外国でも、国家や家を表す様々(さまざま)な意匠が描いられており、龍(りゅう)や獣(けもの)、鳥、月や星を象(かたど)っているものがよくあります。ところが、太陽を表している国旗は、日本の日の丸しかありません。他国が太陽に気づかなかったのは、本当に不思議としか言いようがありません。

林英臣の補足:現在では、バングラディシュ人民共和国の国旗に太陽が描かれています。パラオ共和国の国旗もデザインとして似ていますが、太陽ではなく満月とのことです。(続く)