No.87 知らず知らずのうちに、教育が国民精神を破壊しつつある

私たちは、日本の紀元を遠慮(えんりょ)することなく使いましょう。誰かに気をつかって、知らぬふりをしたり隠したりする必要はありません。紀元は、天地と共に変わらぬ国民の誇りです。

支那(チャイナと同じで中国のこと)が中華民国成立(西暦1912年)を紀元とせず、ソ連(ロシアのこと)がソヴィエト政府樹立(西暦1917年)を紀元とせず、アメリカが独立宣言の年(西暦1776年)を紀元とせず、その他(ほか)の国も同様(どうよう、同じようす)である中で、ただ日本のみが建国の紀元を用いているのは不思議なことです。

諸外国は、その建国が、反抗や革命による場合が多いと述べました。力で屈服させる覇道(はどう)的な建国です。

それに対して日本は、言葉による平和な方法で建てられた国です。それを「言向け和す(ことむけやわす)」といいます。武力も用いましたが、それは他(ほか)に方法がなかったときの手段(しゅだん)であり、平和で自然な治め方を基本としておりました。そうして、初代・神武天皇の即位の年を紀元とし、そこから年数を数えて今に至っているのです。

年数を数えられるというのは、長く続いていることの証(あかし)です。優れた歴史と文化を持っており、それがずっと続いていなければ年数を積み重ねることはできません。

日本の紀元を祝う日が、2月11日の紀元節祭(きげんせつさい、戦後は建国記念日)です。紀元節は、外国の独立記念日や革命記念日と比べて、とても古くて荘厳(そうごん、おごそかで威厳のあるようす)です。

ところが、この誇るべき事実をすっかり忘れ、日本にとって意味のない西暦を用いて平気でいることにあきれます。かつて私(著者の林平馬氏)は、子どもたちの筆記帳(ひっきちょう、ノートのこと)を見て驚いたことがありました。筆記帳の裏面(りめん、裏表紙のこと)に1926という数字が書いてあったのです。

「これは何ですか」と質問しましたら、直(ただ)ちに「これは西暦紀元の年数ですよ」と答えました。そのときの子供たちは、得意気(とくいげ、得意で誇らしそうなようす)で高慢(こうまん、おごり高ぶったようす)に見えました。そこで、さらに「では日本建国の紀元は何年ですか」と聞いてみましたら、子供たちは恥ずかしそうに頭をかくばかりで答えられませんでした。

ああ、なんということでしょうか。今日(今から90年以上前)の教育は日本人を育てる教育ではなく、欧米人をつくる教育に傾いているのではないでしょうか。そうして知らず知らずのうちに、教育が国民精神を破壊しつつあるのです。このことに、悲しまない憂国の士(ゆうこくのし、国を憂う人のこと)はいないでしょう。

日本人が神武天皇即位を紀元とする年数を用いることは、世界的な誇りであることを知らねばなりません。一言(いちごん)で言うならば、日本の歴史は世界の奇蹟(きせき、常識で考えたら起こり得ない出来事)であり至宝(しほう、最高の宝物)なのです。

林英臣の補足:西暦ですが、世界史に共通する目盛りとして、とても便利です。各国の歴史的関係を知りたいときに、西暦が共通の目盛りとなって役立つのです。

日本史においても、元号(げんごう、天皇在位を表す年号のこと。明治以降は一代一元)が頻繁(ひんぱん、めまぐるしいようす)に変わる時代は、流れが大変分かりにくいです。そこで西暦に置きかえるか、あるいは神武紀元で年数を通せば分かりやすくなります。日本史と世界史を比較するときは、西暦が“通し番号”の役割を果たしてくれますから一番便利です。

これは大和言葉の師匠から教えられたことですが、神武天皇による創業も、長い日本の歴史からすれば途中の出来事なのだそうです。神武天皇は中興の祖(ちゅうこうのそ、途中で国を再興した人物のこと)であると。

そもそも日本民族の起こりは、さかのぼれば縄文時代に行き着きます。かつて太平洋に存在した超古代国家の末裔(まつえい)が、日本列島に移って縄文文明を興し、その子孫が我々というわけです。(続く)