No.93 国民性が失われた国家は滅びる

もしも次第に国民性が薄れていき、遂に消滅してしまえば、そのときこそ国家が滅亡するときとなります。思いますに、国家の滅亡とは国が消えてなくなることではなく、その国民性が失われることです。そこで我々は、日本人の国民性の特質を揺り起こして養うため、常に最善の努力を捧げねばなりません。

では、日本人の国民性とは何でしょうか。言うまでもなく、それは「皇室中心主義」にあります。

私は、先には明治大帝の崩御(ほうぎょ)を悲しみ奉り、今また大正天皇の崩御による悲しみに遭遇することで、自らは日本国民として最大の悲哀(ひあい)を体験すると同時に、国民性の発露を目の当たりに見ることができました。

ひとたび天皇陛下のご不例(ふれい、天皇陛下のご病気)が伝わりますと、8千万人の日本国民は、炎熱激しい夏の日も、雪が降り積もった冬の朝も氷の夜も、天を仰ぎ地にひれ伏して、ただひたすら陛下がご平癒(へいゆ)されることを祈ったのです。

そして私は、娘からの手紙に泣かされました。あまりに嬉しく、心強さに喜びを感じて。

「お父様へ
しばらくご無沙汰致しました。(中略)昨日はクリスマスでしたが、聖上陛下(てんのうへいか)がお悪いので、静かに取り行いました。

聖上陛下のご不例で、新聞号外の声に毎日おびえております。

すべての人々が、今度という今度は真面目(まじめ)に祈り、またご心配申し上げているのを見ると嬉しくなります。そうして、ああやっぱり日本だ、有り難いと思います。

私ども千人足らずの生徒は、17日午後、突然二重橋に行って祈祷を捧げました。私どもは立って致しましたが、四十代くらいの婦人は子供と並んで座り、お経を上げて数珠を爪繰(つまぐ)っておられました。その様子を見たとき、本当に涙なしにはいられませんでした。13歳か14歳くらいの一人の少女は白の着物に紫の袴をはいて、大地にひざまずいて合掌し熱心に祈っておりました。

またある人は、合掌したまま身代わりになろうとして葉山の海に投身したとか、ある看護婦も身代わりに命を絶ったとか、聖上陛下のご容体が伝わるに連れて、こういう話が引きも切らずに報ぜられています。

私は二重橋前に立ったとき、この頭を砂利の上で、おろしをするように、こすりたいほどでした。

とにかく、皇室の御事(おんこと)を思うとき、私は慕わしさと尊敬の念が無性(むしょう)におこってきて涙がこぼれます。

この心が国民全員の心として、永久に滅びることにないようにと念じます。

聖上陛下は、よほどお悪く、この二三日(にさんにち)は小康を得させられたと報じられてはいますが、少しも安心はできません。

我々赤子(せきし、国民のこと)のまごころの祈りと、神明のご加護とによりまして、どうかご平癒あらんことを祈りに祈っております。

家でもみんなして朝夕祈っております。

大正15年12月20日夜 東京 初恵より」(続く)