No.94 個人の発展と国家の隆昌は、必然的につながっている

これは我が子からの手紙です。そのとき私は支那の大連に滞在しておりました。
日本の紀元年数を知らない我が子に悲しい思いをしていた私は、この手紙を受け取って心から嬉し泣きしました。

しかし、手紙は12月25日の朝9時頃に届き、ちょうど崩御の悲報があった後ですから、きっと子供たちも今頃は泣いているだろうと思い、耐えられぬ気持ちになりました。

当時はどの新聞も、天皇陛下のご容体を報道していました。そこには全国各地の国民が、真心から平癒祈願をしている光景が載せられていました。国民がこぞって熱く祈る光景こそ、我が国体の精華(せいか)です。

「海行かば水漬く屍 山行かば草むす屍
大君の邊(へ)にこそ死なめ かへり見はせじ」

これは万葉集にある大伴家持の歌で「戦で海に行くならで水に漬かる屍となろう。戦で山に行くなら草の生える屍となろう。天皇のお側で死ぬことに決して悔いはない」という意味です。天皇陛下のご平癒を祈る国民の心境は、まさにこの歌の通りでしょう。

皇室を中心に仰ぐ国民性は、三千年に及ぶ悠久の伝統を持っています。その伝統精神が、陛下のご不例に対して忽然(こつぜん)として現れ、老若男女の別なく、国を挙げてご平癒を祈り奉(たてまつ)らせたのです。尊王は我が国民性であり、尊王心の充実は国民生活の基調なのです。

この精神と比べますと、世間の細々した毀誉褒貶(きよほうへん、誉められたり貶されたりすること)が一体何なのでしょうか。富貴も空に浮かぶ雲のようなものです。

我らには変わらぬ尊王心があります。この心を基本として、各々(おのおの)仕事に励めば、天は明々(あかあか)と我らを照らすでしょう。個人の発展と国家の隆昌は、必然的につながっている運命なのです。(続く)