No.102 日本の行動は、自衛上の目的から起こされたもの

日本と韓国の併合(韓国併合・西暦1910年)も、自然の流れがそうさせたのです。日本は併合によって利益を得たとは言えず、韓国側の丸儲けが実態でした。論より証拠で、長い間圧政に苦しんだ韓国民は、今や堅実勤勉となり社会も安定してきました。

ただし、生活が苦しいのは、内地(日本)も韓国も同じです。それは白人たちも承知しています。

要するに日本の行動は、自衛上の目的から起こされたものであり、侵略的な意図は少しも含まれていませんでした。それは世界も認める、実に正々堂々たるものでした。

すなわち、侵略的な帝国主義を撲滅して、真の世界平和を提唱・建設する大使命を持っているのは、我が日本国のみなのです。まことに日本の興廃は、世界人類の興廃そのものと言っても過言ではないでしょう。

ここに思いが至りますと、帝国日本の使命は本当に重大であることが分かります。この大使命を強く感じ、しっかりと把握した大偉人の、一日も早い出現を心から待ち望みます。その偉人は、まだ無名の日本青年男女の中から必ず出てくることでしょう。

林英臣の補足:西洋列強は、虎視眈々(こしたんたん)と東アジア侵略を目論(もくろ)んでいました。ロシアも、南下政策によって満州と朝鮮半島を支配下に置こうとしたのです。

ところが、併合当時の韓国は、李朝末期で政治が腐敗していました。自立力が不足し、自衛力がなかったのです。貴族の横暴と官僚の腐敗、権力者による醜い政治闘争、それによる人心の荒廃、奴隷制度の残る厳しい身分差別など、韓国社会は絶望的な状態にあったのだそうです。

韓国に対して宗主国であった支那は、清朝が西暦1911年に滅亡。混乱の最中にあり、韓国にとって頼りになる国ではありませんでした。いち早く近代国家を建設していた日本は、この混迷した韓国を抱えながら東アジアを守らなければならなかったのです。

我が国は、併合した韓国を立派にしようと努力しました。道路、鉄道、港湾、電気、水力発電、水道などの社会資本の整備に努め、造林植樹を行い、農業生産力を高め、技術を投入して工業を発展させました。

その結果、西暦1911年から1936年の間に、人口は1383万人から2137万人に増え、戸数は281万戸から401万戸に増え、農耕地面積は273万町歩から450万町歩に増えました(「朝鮮総督府統計年報」)。

教育も振興し、普通学校(小学校)は306校から2417校に増加(同年報)。京城帝国大学(ソウル大学)は、内地の大阪帝国大学や名古屋帝国大学よりも早く創設されました。(続く)