No.106 相手が非道だから、自分も非道を進むしかいない、という考え方は大間違い

7 一般国民の自覚

国民に向かって「覚めよ!」「目覚めよ!」という警鐘(けいしょう、警告のために打ち鳴らす鐘のこと)が、あまりに多く乱打されています。ところが、それで覚めたようすは、それほど見当たりません。

眠っている者には、必ず目覚めのときがやってきます。いかに深い睡眠であっても、朝になれば起床のときを迎えます。

ところが、何度も警鐘が鳴らされているのに目覚めないとなると、何か大きな理由があるはずです。その一つとして、すでに国民は欧米思想の毒に当たっていて、しっかり立つことができなくなっているということがあるかもしれません。

そういう中にあっても、隣国支那の国民は、少しも欧米思想の害毒に感染していませんし、中毒になってもおりません。今まですっかり眠っていた支那は、最近非常な速さで目覚めつつあります。

それに比べて日本人は、アルコール中毒か、モルヒネ(麻薬の一種)中毒のように、思想的中毒に罹っています。そのようすを見ますと、本当に胸が張り裂け、腸(はらわた)が千切れる思いがいたします。

ある者は欧米思想の扇動(せんどう)に乗り、またある者はその誘惑に惑わされ、国際的な陰謀にも気付かないでいます。その結果、日本人同士で争い、互いに相手の胸を突いたかと思えば、自分で自分の心臓を突き刺してもいます。本当に、狂いに狂い、迷いに迷った状態です。

それを横目で眺める国民は、行き当たりばったりの、その日暮らしに明け暮れるばかり。とくに自分から努力せず、もしも困ったら政治が何かしてくれるはずといった態度でいます。あるいは、デモでもやれば、いくらか利益になるかもしれないと言って騒ぐ者もいます。そんな程度の思想で、どうして生成発展の人生を築くことができるでしょうか。

それから、やたらに責任を他に転嫁(てんか)する考え方も問題です。誰が悪い、彼がダメだと意見する前に、どうして自分の悪い点や足りないところに気付かないのかと。

一家の主人が悪いと責める前に、なぜ自分は善良な家族の一員になろうとしないのでしょうか。店主の悪を責める前に、なぜ自分から善良な店員になろうとしないのでしょうか。

相手が非道だから、自分も非道を進むしかいない。そういう考え方は大間違いです。他人が細い藪道(やぶみち)を通っても、あわてず迷わず、自分は本道を選ぶべきです。それが当然の道であり、また安全な道であるということが、どうして分からないのでしょうか。

社会は、すべてがつながっています。大小多少はともかく、この自分も、つながり合う社会の中で何らかの責任を背負っています。ならば、どうして小太陽となって周囲を照らさないのでしょうか。自己努力を放棄したまま、いたずらに他人を批判し、その悪事を追求しているだけでは、的が外れていると言わざるを得ません。(続く)