No.107 大日本丸の横に穴が開いている!

私たちの「大日本丸(だいにほんまる、船にたとえた日本国のこと)」は、威風堂々(いふうどうどう、威厳があって立派なようす)と大洋(たいよう、広い海のこと)の真ん中に進み出ました。でも、よく見ると、船の横に穴が開いています。

乗組員の幹部らは、それぞれの船室に自分の財産を積み入れて、固く鍵をかけています。そして、部下に向かって「おまえたちは、すみやかに命懸けとなって船の危機に立ち向かえ!」と叫んでいます。

ところが、下級の船員らは幹部の部屋に押し寄せ、呪うかのようなひどい言葉を吐きつつ、ドアを叩き、床を踏み鳴らして「さっさと財産を平等に分配せよ」と迫ります。船内には殺気がみなぎってきました。

そうして、全部の乗組員が狂ったように争い合い、沈没(ちんぼつ)が迫っている船を守らねばならないことをすっかり忘れ、あわれにも全員が大洋の底深く沈んでしまおうとしています。

今や暗雲がたちこめ、日本国は大変な困難を迎えています。我々一人ひとりは、祖国が亡びることなく続くよう、命がけとなって自分に与えられた使命に生きなければなりません。それを忘れて、権利だけを主張しているときではないのです。

ヨーロッパのある指導者が、「人間には、権利は一つもない。あるのは義務のみ」と言いました。身分の上下に関係なく、それぞれに与えられた義務を果たさねばならないのは当然のことです。

著者の歌を一首ご紹介します。

責めは皆我にありとて奮ひ立つこころをさして大和魂(やまとだましい)

(意味)責任はすべて自分にあると考えて奮い立つ心を大和魂という。

人の責任まで自分の責任だとし、一切の義務を己(おのれ)が引き受けるのが大和魂です。今日(こんにち)のような責任逃れの考え方は、大和魂の逆にあたるものです。

次は、明治天皇(第122代)の御製です(先にもご紹介しています)。

罪しあらば我を咎(とが)めよ天津神(あまつかみ) 民は我身(わがみ)の生みし子なれば

(意味)天津神よ、国民に罪があるならば、この私をお咎め下さい。国民は私が生んだ子なのですから。

「罪し」…「し」は意味を強める副助詞、「天津神」…高天原の神々

ああ、何という尊い大御心(おおみこころ)でしょうか。皇室は、本当に国民道徳のお手本であり、さらに世界の典範(てんぱん、基準のこと)でもあります。

今こそ私たちは、本来の国民性に立ち帰って、人生の一切(いっさい)を義務と奉仕に生きましょう。揺らいできた祖国の基礎を、強固に建て直すのです。それが、やがて全人類を救済するための基盤となり、準備ともなるはずです。

林英臣の補足:「人間には、権利は一つもない。あるのは義務のみ」と聞くと、とても驚く人がいることでしょう。私は、義務は「正義の務め」であると考えています。正義に生きるのが人間の務めであり、そのために与えられている資格や能力が、本来の権利ではないかと思うのです。(続く)