【綜學】現代文明の行き詰まりを救う全体学~連載その1

第1章「綜學とは何か」

◆現代文明の行き詰まりを解決したい◆

◇講義内容が、どんどん広がってしまうことへの悩み◇

筆者は欲張りな人間で、いろいろ知りたくて仕方ない。何を講義するにしても、内容がどんどん広がっていく。文明論ならヨーロッパ史・中国史・日本史など世界全体に及び、東洋思想なら儒家・道家・法家・兵家など多岐に渡ることになる。要するに一つの事に腰を据え、専門を一つに絞り、じっくり掘り下げて研究するということが無いのだ。

何事も全体を観ようとするのは、私の本性だと思う。と同時に、内容が広がる方向へ、見えない力によって導かれてここまで来たという気もする。

あるとき、講義が終わってからの懇親会で、参加者から「驚きました。そして、やっと納得がいきました」というご感想を頂いた。その方は文明論に関心があって、拙著を読まれていた。後に大和言葉も学ぶことになり、やはり拙著に行き着いたらしい。

文明論も大和言葉も、著者名は同じ「林英臣」だ。しかし、全く違うジャンルの学問が一人の人物の手によって研究されているのは、ちょっと考え難いと。きっと同姓同名の人がいて、それぞれの学問を研究してきたのだろうと思っていたらしい。ところがその日、著者が同一人物であることを知って、驚くと共に納得されたということであった。

しかし、筆者には葛藤があった。このまま、いろいろ手広く講義するという形を続けていっていいものか。結局、広く薄く話すだけの講師で終わるのではないのか、などと悩んだ。

講師をしていると、経営者の相談に乗ることが多い。その際「あれこれ余分な事業を起こし、やたらに手広くするのではなく、本業を生かして強みに集中しましょう」と助言することがある。他人には、一つに集中することの必要性を説いているのだ。それなのに自分はというと、どんどん演題を広げている有り様。

筆者の講義内容は、大きく文明論(世界史・日本史)と大和言葉(日本思想・日本学)と東洋思想(中国思想・日本儒学・仏教思想)に分けられ、これ以外に松下幸之助翁の経営思想や幕末・明治の志士人物論などがある。もしも、これらの中から一つを選び、あとは捨てよと言われても、今さらどうしようもない。

そうこうするうちに、やがて全体を一つに束ねればいいということに気付いた。