その4 次に来る文明は東洋が主役となり、その基本精神は全体観にある

あらゆる結果には、必ず原因があります。理由の分からない現象も、よく調べれば、どこかにそうなる根拠があるものです。それを因果の法則と言い、歴史の結果(事実)にも元になる原因があるはずです。

幕末に龍馬や海舟、西郷や左内ら、沢山の志士が育ったことにも、原因となる学問がありました。それが、知の蘭学・洋学、情の国学・神道、意の儒学・武士道です。それを現代に置き換えたのが、知の文明法則史学、情の大和言葉の日本学、意の東洋思想や武士道です。これらをまとめて綜學と呼んでおります。

一体いつ頃から「綜學」という言葉を用いたのかについて調べてところ、平成17年(2005)4月29日付のメルマガの文に「綜學」と書いていました。また、号を「綜観」と名乗るようになったのは、その2年後でした。

平成19年(2007)年7月12日付のメルマガに 、下記のように書いています。

「さて、林も「号」を持つことにしました。いろいろ考えて「綜観」です。読みは「そうかん」。「綜」は「まとめ集める」という意味、「観」は世界観や人生観の観です。「綜観」とは、綜合的に観ること、すなわち綜合思想のことです。

次に来る文明は、東洋が主役となるが、基本精神は全体観にある。私は17歳頃から、ずっとそう考えてきました。そういえば、松下政経塾の一次試験の論文テーマは「日本的思惟・全体観喪失の危機」でした。

そこで、東洋を綜合的に研究しようと、いろいろな研修や学問を30年以上に渡って積んできたのです。

例を挙げますと…鍼灸医学で、基礎医学は西洋から、臨床医学は東洋から学ぶ。「沖ヨガ修道場」で、バランス維持を教えるヨガ思想を修得。武道は、柔道・空手道・居合道・杖道・合気道などを綜合的に稽古。

文明論では、東西文明の交代をマクロに予測する文明法則史学を研究(西洋史と中国史を含む)。日本史の講義は、縄文から近現代史までを盛衰波動でトータルに解説。

中国思想は、儒家・道家・法家・兵家などを綜合的に講義。仏教思想では、釈尊・聖徳太子・空海・最澄・法然・親鸞・栄西・道元・日蓮・蓮如を「開祖の人物論」として講義。

日本思想なら、古事記・徒然草・武士道・幕末志士論などを幅広く講義。また、「大和言葉」を世界観・人生観に分けて講義。それから、思想家としての松下幸之助の研究と講義。

こうして、いろいろ研究しては、多面的に講義し拙著に書きもしました。一つの専門に絞って、人生を一点集中で切り開くことはしませんでした。専門家になることなく、あえて綜合の道を選んだのです。

理由は、これから興る新文明を担う志士は、必ず綜合の人から出ると予感したからです。大局に立って全体を経営し、歴史を創造できる真のリーダーの出現です。たとえ個別の能力を発揮しているように見える場合でも、基本は綜合におかれているはず。私は、そう思ったのです。

実際、聖徳太子、空海、信長など、歴史の創造者は、みな綜合の人でした。幕末の志士たちも、その信念に偏らない綜合性を持っていました。

そこで、そういう人物を育成するために、我が号を「綜観」にしたというわけです。主観・客観・表観・裏観をはじめ、世界観・人生観・歴史観・国家観などを綜観し、志士育成の大願を成就させようという意味の号なのです。」

十年前、こうして自分を振り返っていたことに、我が事ながら感心しました。では、綜學の意義について、もう少し詳しく述べてみたいと思います。(続く)