その5 原点からタテイトが伸び、全体が一つにまとまる

綜學の「綜」には「まとめ集める」という意味があり、知情意それぞれの学問を一つにまとめて綜學と呼ぶことにした、というところまで述べました。

この「綜」の字源についてお話ししましょう。綜は、「糸」と「宗」の両方の意味が合わさった漢字(会意文字)です。糸と、それを一つにまとめることを表す宗が組み合わさって、綜の漢字となったのです。

糸はタテイトであり連続性の象徴です。宗は「ウ冠」+「示」で、ウ冠は屋根のある建物を、示は祭壇に供えた肉から血が滴り落ちている様子を表しています。祭壇を設けて祭っているのは、神々や先祖です。宗は、御霊屋(みたまや)の中で神事が行われている様子であり、それは神々や先祖という原点への尊崇に他なりません。

尊い原点があり、時間をかけてタテイトを伸ばしていけば、横にも大きく広がります。それは扇のようなもので、原点は要(かなめ)、広がりは扇面(せんめん)となります。扇の骨が何本あろうとも、要によって一つにまとまっていれば、バラバラになるようなことはありません。こうして綜は、原点からタテイトが伸びていき、全体が一つにまとまっていることを表した漢字なのです。

それから「學(学)」は、子供が両手を使って習う様子を字源とする漢字です。学校で礼法などを、身振り・手振りして修得するのが學でした。

また、學を訓読みすればマナビです。まねをする「まねぶ」が、その語源とも言われています。マナビのマは真や誠、的(まと)マで真理を、ナは和やか、仲間、並ぶのナで調和を表していますから、マナビは真理の探究と、その調和統合ということでもあります。

まさに綜學は、原点である本源や根本を掴み、そこから伸びていくタテイトを捉え、全体の広がりを大局的に観るための学問です。真理を探究し、それを集めて衆知とするための学びであり、一人ひとりが天命を受け止め、立志大成の人生を歩むための綜合学問というわけです。(続く)