その7 綜學に至る人生

◇50年以上続けている、三大宗教教祖への綜合的な祈り◇

いろいろ学んだことが綜學にまとまっていく経緯について、もう少し詳しく述べておきます。振り返れば筆者の人生は、いつも綜合性と全体観につながることばかりでした。

幼稚園年長の5~6歳の頃、ある日祖父はテレビを見ていて「戦争なんてバカのやることだ」と呟(つぶや)きました。画面に流れていたのは、おそらくベトナム戦争のニュースです。

その祖父の言葉が忘れられないまま、小学校3年生になったとき、担任の教師が授業中に「世界には、まだ戦争をしているところがある。早く戦争の無い世の中をつくらなければいけない」と言いました。

これらの言葉を聞き、私は素直にショックを受けました。そして、「自分に出来ることで何か世界平和のためになることをしなければ」と考えたのです。勿論子供ですから、大人のような活動をやれるわけではありません。あれこれ思索するうちに、祈ることなら自分にも出来ると気付きました。

では「誰に祈ればいいのか」と、いろいろな人物を頭に浮かべながら何気なく学校で使う図説資料を開いてみたところ、宗教の分布図というのが出ていました。その図に世界三大宗教が出ていて、それはキリスト教と仏教とイスラム教であることが分かりました。

宗教は平和と幸せを導くためにある、というくらいのことは知っていましたから、ならば三大宗教の教祖に平和のお祈りを捧げればいいと閃(ひらめ)くに至ったのです。

早速、閃いたその日の夜から「キリスト様、お釈迦様、マホメット様、どうか世界から戦争が無くなり、人々が幸せに暮らせますように」というお祈りを始めました。これらの教祖に祈ったのは、3人に頼めば誰か一人くらい聞いてくれるだろうという思いからであり、また世界平和のためには3人の教祖に力を合わせて貰う必要があると考えたからでもあります。

そうして、世界三大宗教は、私にとってどれも大切なものとなりました。仏教の寺院はもとより、海外に行ってキリスト教の教会を訪ねたときも、イスラム教のモスクに入場したときも、私は手を合わせて世界平和を祈願します。敬虔な信者からすれば、どんな宗教でも構わないという節操に欠けた態度であると非難されそうですが、どの信仰から入ろうが、必ず大宇宙の根源に行き着くというのが私の信念です。

ともかく、こうして世界平和の祈りから「綜合性の人生」が始まりました。その後、朝と晩に祈るようになり、形式は神道で行うようになりましたが、この祈りはずっと続けています。8~9歳頃の開始ですから、既に50年以上継続している「行」ということになります。(続く)