その20 いくら藻掻(もが)いても、自分の中に原点を見つけられないという人へ

さて「原点」「種」「素志」を、何とかして自力で見つけようとして苦しんでいる人のために補足を述べます。いくら藻掻(もが)いても自分の中に原点を見つけられないという場合は、無理しないで肩の力を抜き、一旦(いったん)目を外へ向けてみて下さい。

実は、原点というものは、自分で気付いたようでありながら、同時に縁ある人から受け継いだものでもあり、自分の中から見出したようでありながら、同時に人から貰い受けたものでもあるというのが普通です。

要するに、他人の影響で素志が芽生えたり、誰かの志に感動することで自分に種が宿されたりするわけです。もっと言えば、「お前、これをやれ」と命令調に指示を受け、それが原点となる場合もあります。

考えてみたら筆者もそうです。松下政経塾の入塾面接試験のとき、松下幸之助塾長から「塾生であると同時に塾長になってくれるか」と問われました。やがて林塾の塾長となって「政治家天命講座」を起こした原点は、まさに松下幸之助から貰い受けたものだったのです。

そういうことから、今取り組んでいる事や、これからやろうとしている事が、ちゃんと原点から起こされたものであるかどうかについて、一目を自分の内に、もう一目を外に見やって確認してみて下さい。あるいは、この先何をするべきかを考えるときも、一方で「内なる心」に尋ねつつ、もう一方で「外の世界」に意識を遣って、それら内と外がストンとつながるタイミングを焦らないで待ってみるといいでしょう。

誰のどんな活動や事業、理念や思想に興味が湧き、さらに受け継ぎたいとまで思えるか。誰が発した、どんな言葉に感動し、「よしっ! 自分ならこうしよう」といった決意につながるか。そこがピタッとはまれば、種の宿り、素志の芽生え、即ち原点の確立に至るはずです。(続く)