その23 「どや、君らなあ、志はもう立ったか」松下幸之助

続いて、「原大本徹」の本氣について述べます。松下幸之助は、松下政経塾生に「君、それ本氣か」と問い掛けました。何事も本氣なら実るが、中途半端では実るはずのものも実らないで終わってしまうという指導です。

本氣の「本」は、木の根もとを表している漢字です。原点である「種」から芽を出し、地上にしっかりそびえ立つ大木の、その根もとが「本」です。

「氣」は、米を炊くときに湯気(气)が上がる様子を示した漢字です。湯気は蒸気であり、蒸気は重たい蓋を持ち上げてしまう力を持っています。そこから、目には見えないものの、大きな力があることを認めるようになり、この氣によって、大宇宙のあらゆるものが存在していると捉えるようになりました。氣が拡散すれば空気や大気になり、凝縮すれば物となり存在になると考えたのです。

従って本氣は、根もとから湧き起こる力強いエネルギーのこととなります。大木が天に向かって真っ直ぐ伸びていけるのは、まさに本氣であるからです。本氣によって人生はぐいぐいと前に進められ、「人生の大木」の「幹」が形成されることになるわけです。

そして、本氣は立志でもあります。種は素志でしたが、幹は立志です。素志の段階は、まだ漠然とした思いで構わなかったのですが、立志の段階に至りますと、何でもって使命を果たすのかが明確になっていなければいけません。

「どや、君らなあ、志はもう立ったか」。これも松下幸之助が、繰り返し塾生に問い掛けた言葉です。私は、この言葉に反発したのを記憶しています。そもそも志があるから松下政経塾を受験したのであって、今さら何を問うのだと疑問に思ったからです。でも、後になって、この問い掛けの重要性に気付くことになります。

筆者は、志というものは一度立てたら、もうそれでOKと思っていました。しかし、そういう生やさしいものではありませんでした。志は、何度も何度も立て続けなければ、あっけなく萎(しお)れてしまいます。毎日水を遣り、ときどき肥料を与えないと、たちまち影も形も無くなってしまうデリケートな存在であるということが、齢を重ねるに従って、しみじみ分かってきたのです。(続く)