その27 歴史上の人物に見る原大本徹

◇聖徳太子の素志と、国家国民を救う使命感◇

以上述べた原大本徹によって、筆者は歴史上の人物を研究してきました。それぞれの人物が、どうして活躍出来たのか。その理由が、原大本徹に照らすとよく分かってきます。

また、政治家や経営者から相談を受けたときにも、原大本徹が役に立ちます。相手の話を聞きながら原大本徹に当てはめていくと、様子がよく見えてきます。それに基づいて助言をすれば、的外れになることは、まずありません。

そこで、歴史上の人物の原大本徹について例を述べてみましょう。最初は聖徳太子です。

【聖徳太子の原大本徹】
飛鳥時代の初期に、皇太子(ひつぎのみこ)であり、推古天皇の摂政の立場で、政治改革を行ったのが聖徳太子です。聖徳太子が活動した時代は、社会秩序の谷間にあたります。氏姓制度による古墳時代の社会秩序が終わり、律令体制による奈良・平安時代の社会秩序へ移行する谷間(過渡期)の前半が太子の活動期でした。

それは日本史上、最も混乱を極める時代でした。豪族たちによる私地・私民の争奪が激化し、二大豪族の蘇我氏と物部氏が相争います。そして、とうとう崇峻天皇が暗殺され、皇室の権威が地に落ちてしまいました。

海外に目をやれば、大陸には久し振りの統一王朝である隋が誕生しています。朝鮮半島では新羅が強くなり、高句麗は隣り合う隋と対立状態にありました。

そういう中、日本を新たに興隆させる上で、仏教が重要になってきました。当時の仏教は、思想であると共に学術でもあり、東アジアにおける先進文化そのものでした。既に、仏教を共通基盤とする外交が始まっており、これの導入は我が国としても不可欠だったのです。

それには、根本からの改革が必要です。深い学問と思想、世界に対する大局観、高い人徳と胆力、さらに具体的な改革案を出せる人物の登場が不可欠でした。聖徳太子は、こうした時代の要請によって登場した指導者だったのです。

◆聖徳太子の原点
用明天皇の皇子として誕生(西暦574年)した聖徳太子は、生まれながらによく喋り、とても聡明でした。まだ起きていないことを察知する、霊感のような力を持っていたとも伝えられています(日本書紀)。

太子は、その聡明さによって、幼時から日本思想や東洋思想、仏教思想を幅広く綜合的に学んだに違いありません。太子の師には、高句麗から渡来した恵慈(えじ)という僧や、百済から渡来した覚哿(かくか)という儒学者がいました。

それらの思想・学問が教える理念や理想と、混乱する世の中の現実との狭間で、政治改革への強い願望が、太子の心に素志として刻まれていったものと思われます。皇子として、国家と国民を救う使命感を持つに至ったのであり、それが太子の原点になったのでしょう。(続く)