その54 志士たちの和歌に見られる、澄んだ決意と溢れる情感

漢字の音をそのまま発音するのが音読み、大和言葉で発音するのが訓読みということを述べました。この音読みと訓読みには、どちらにも「文章を作る際の向き不向き」があります。

漢字の熟語が主体の音読みは、どうしても表現が硬くなります。堅牢にして四角張ったイメージがあり、学術論文や法律文など、曖昧さを許さない文の作成に向いています。

一方、大和言葉による訓読みは、見た感じも発音も柔らかくなります。和歌は大和言葉で詠むことが基本ですが、和歌を見れば、しめやかさや哀愁など、民族の情感が豊かに表わされていることが分かります。

また、音読みは檄文を書くときに向いています。「徹底抗戦」、「要求貫徹」、「断固粉砕」など、漢字四文字で示された戦闘的スローガンがいかに多いことか。もしもこれらを大和言葉で表すとしたら、それぞれ「ずっと戦う」、「ちゃんと貰おう」、「きっと壊すぞ」とでもなるのでしょうが、これでは力が入り難い気がします。

でも、大和言葉にも情熱があります。志士たちが詠んだ和歌には、澄んだ決意と溢れる情感が見事に示されていました。下記は、松下村塾を主宰し、高杉晋作や久坂玄瑞、伊藤博文など、多くの志士を育てた吉田松陰の和歌です。

「かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂」

(訳)こうすればこうなるものと分かっていながら、立ち上がらないではいられないのが大和魂というものだ。

松陰はペリーの黒船に乗り込んで、海外へ渡ろうと試みます。それは国法が許さず失敗に終わります。密航を企てた犯罪者として囚われの身となった松陰は、下田の番所から江戸送りとなります。その護送の途中、品川の泉岳寺を通ったときの歌がこれで、討ち入りを果たした四十七士の決起に、自分の熱い想いを重ねて詠んだのです。

次は、安政の大獄で処刑される二日前の歌で、「留魂録」冒頭に記されています。

「身ハたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置(とどめおか)まし大和魂」

(訳)たとえこの身は武蔵の地に朽ち果てても、我が大和魂は永遠に留め置かれるだろう。

こうして和歌には、澄んだ決意を表す力があるのです。恋の歌のような柔らかさだけでなく、淡々と激情を表現するのにも向いているというわけです。

なお、恋文(ラブレター)を書くときは、大和言葉を主体にすることをお勧めします。漢語ばかりでは事務的文書のようになって、相手を冷静にさせるだけとなりかねませんから。(続く)