その64 現代人には「意」と「情」が足りない

公と私、日常と非日常、刀と自分、生と死、これらを結ぶのが武士道だと言われたときに、読者の皆さんは一体どう感じるでしょうか。「なるほど、そうあるべきだ」と腑に落ちる人、「現代人の常識からすると理解し難い」と首をかしげる人、「そういう生き方がしたいものの、自分はそこまでは出来ない」と思う人など、いろいろな反応があって当然です。

筆者が言いたいのは、現代人には「意」と「情」が足りないということです。「知」をどれほど沢山頭に入れても、「意」と「情」が無ければ何も起こらず、行動に至らなければ4つの事は繋がらないと。

人には、その人の本性(性)というものがあります。この本性が発動しますと「意」になります。心の内に備わっている意は、「情」を主導するのが役割です。「意」があってこそ、「情」が豊かに整います。

しかし、「意」には「心の中に抑え留める」という意味があり、まだ「意」の段階では、具体的な感情として表現されたわけではありません。

具体的な「情」はどういうものかと言うと、お互い様という思い遣りや助け合いの心、正義を尊び恥を悪(にく)む心、お先にどうぞという譲り合いの心、お陰様でという感謝の心などです。

そうして、その人が本来持っている本性(天性や個性、天分や自分らしさ)と、それが発動した「意」と、「意」が主導するこれらの情が合わされば「人の心」となるわけです。

さらに、その「心」の向かう先が明らかになれば、志が立ったことになります。思い遣りや正義の心によって、この問題を放っておけない、こういう人たちを見捨てるわけにはいかないという意識が生じ、それが使命感に高まり、取り組む方法や道筋が具体化したときに立志に到達するのです。

人間は、学問・教育によって「人としての本性」や「人間らしい本質」が磨かれます。その本性や本質が発動すれば「意」となり、意が主導することで「情」が湧き起こり、これら意と情が定まって立志に至るという次第です。

少々理屈っぽい説明となりましたが、「意」は「知」を完成させ「情」を正しく働かせます。また「意」こそ、「情」の兆しとなり「志」の出発点になるものです。その兆しを起こし、出発点を点火させるものとして、武士道精神ほど研ぎ澄まされたものはありません。(続く)