その67 学者の良心に則って、御用学問の誤りを正す!

そこで素行は、幕府の御用学問である朱子学を専ら教えることにしました。朱子学を大成させたのは、チャイナ南宋の学者であった朱子です。朱子は、よく学んで物事の理を窮(きわ)めることと、雑念を払って身の振る舞いを厳粛にすることを教えました。前者は「窮理」、後者は「居敬」と言います。

それぞれに方法があり、窮理には儒学教本の「読書」が、居敬には静かに座って雑念を払う「静坐」が用意されていました。静坐は一種の瞑想法ですが、座禅のように無念無想となるのではなく、心を一つの事に集中させます。

例えば、天地自然を規定する「理」と、自分に宿る本性(性)が一つに貫かれているということ(性即理)を意識します。そうする内に雑念が取れていき、日常的に心の落ち着いた安定状態になることを目指したのです。

これら窮理と居敬を教える朱子学を基本としたのが素行の朱子学専一時代で、40歳頃まで続きました。

しかし、40歳頃になると、朱子学も理論的過ぎて空論になり易いという問題に行き着きます。何しろ窮理は、あらゆる物事に求められます。一木一草、一事一物に至るまで理を窮めねばならないというのですから並大抵のことではありません。居敬においても、自然に湧き起こってくる人欲の一つ一つを抑えていくのは大変なことです。

朱子の功績は、儒学を大系化し修養の方法を樹立したところにありますが、その厳格さによって、儒学は学問思想としての生き生きとした躍動感を失いました。そうして素行は、朱子学に偏ると堅苦しくて身動きの取れない人間になり、武士としての実践に役立たなくなってしまうという結論に辿り着いたのです。

確かに、読書と静坐ばかりしていたのでは、熱情が冷めて気迫は衰え、公憤・義憤が萎んで腰が重くなりかねません。一瞬に全てを懸けて刀を抜き、その場で本懐を遂げねばならない武士にとって、朱子学だけでは物足りず、むしろ害になるばかりだと考えたわけです。

そこで、40歳頃から儒教古学時代に入ります。直接、周公(周建国の政治家)や孔子などの聖人に学べと唱え、学問がより実践的になっていきました。聖人の教えは、抽象的であったり観念的であったりせず、もっと素直であった。心の本体である本性(性)ばかり重視し、心を悪に染まるものとして排除するようなことはなかったと。

素行は、学者の良心に則って朱子学の誤りを批判し、その趣旨を『聖教要録』という一書に著しました。この出版は幕府御用学問への批判であり、幕政へのプロテスト(抗議)に他なりませんでした。当然のことながら、素行に対する処罰は避けられないということになります。(続く)